テヴフィク・エセンチ
テヴフィク・エセンチ Tevfik Esenç | |
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生誕 | 1904年 |
死没 | (88歳没) |
国籍 | トルコ |
著名な実績 | ウビフ語の最後の話者 |
テヴフィク・エセンチ(トルコ語:Tevfik Esenç、1904年 - 1992年10月7日) は、トルコの男性。ウビフ語の最後の話者であった。
経歴
[編集]ウビフ語を話す祖父母のもと、トルコのハジュ・オズマン村でしばらく育ち、その村のムフタール(市長)を一期務めた後、イスタンブールの公務員になったという。そこで、フランスの言語学者ジョルジュ・デュメジルとジョルジュ・シャラシゼと一緒に、ウビフ語などを記録するために多くの活動を行なった。エセンチと出会い、ウビフに関する著作を残した者は他にも、ノルウェーのハンス・フォークト(Dictionnaire de la Langue Oubykh、1963年、Universitetsvorlaget)、1974年にハジュ・オスマン村を訪れ、イスタンブールでエセンチと録音を行ったイギリスのジョージ・ヒューイット、ウビフの集落やウビフの苗字について書いているアブハジア共和国のヴィアチェスラヴ・チリクバ、トルコのA・スムル・オズソイがいる。
記憶力が優れており、デュメジルや彼を訪ねてきた言語学者たちの目的を素早く理解し、ウビフ語だけではなく、ウビフ人の神話や文化、習慣などの主要な情報源となった。彼はウビフ語だけでなく、アディゲ共和国のハクチ方言も話したので、北西コーカサス系のこの2つの民族を比較することができた。そして、トルコ語も流暢に話すことができた。彼のウビフ語の個人言語は、デュメジルによって、標準的な「文学的」ウビフ語に最も近いものと考えられていた[1]。
エセンチは1992年に88歳で亡くなった。彼が望んだ墓碑銘は次のようなものだった。[1]
これはテブフィク・エセンチの墓である。彼はウビフと呼ばれる言語を話すことができた最後の人物である。—墓に刻まれた碑文
1994年、A・スムル・オズソイは、デュメジルとエセンチを記念して、ボアズィチ大学で「Conference on Northwest Caucasian Linguistics」という国際会議を開催した。[2]
脚注
[編集]- ^ a b circassianworld (2013年9月4日). “Tevfik Esenç – the last person able to speak the Ubykh language” (英語). Circassian World. 2021年4月22日閲覧。
- ^ E. F. K. Koerner (1 January 1998). First Person Singular III: Autobiographies by North American Scholars in the Language Sciences. John Benjamins Publishing. p. 33. ISBN 978-90-272-4576-2
外部リンク
[編集]- Sample Sound Files of Ubykh Language、Lacito Archiveより。
- -ジョージ・ヒューイットによるエセンチの話すウビフ語の録音
- Tevfik Esenç narrating the story of the two travellers and the fish in Ubykh - YouTube
- Account of the burial of the last speaker of Ubykh, Tevfik Esenç、Lingoblog.dkより。
- Trailer of “I had a dream — In the footsteps of the Last Ubykh” – 孫娘のブルク・エセンチが制作した、テヴフィク・エセンチの人生を描いたドキュメンタリー(2019年)。
- 55オーディオ録音話すテブファイク・エゼンクのUbykhを書き起こし、( Panglossコレクション、 CNRS 、パリ)
- Lingoblog.dkのウビフ語の最後の話者TevfikEsençの埋葬の説明
- https://vimeo.com/439377510 孫娘のBurcuEsençが制作したTevfikEsençの生涯に関する66フィートのドキュメンタリー(2019年)。