テ・アタイランギカアフ
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テ・アタイランギカアフ Te Arikinui Dame Te Atairangikaahu | |
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第6代マオリ王 | |
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在位 | 1966年5月23日 – 2006年8月15日 |
戴冠式 | 1966年5月23日 |
全名 | ピキ・パキ |
出生 |
1931年7月23日 ワイカト地区、ハントリー、Waahi Marae |
死去 |
2006年8月15日(75歳没) ワイカト地区、ナルアワヒア、トゥランガワエワエ |
埋葬 |
タウピリ山 |
後継者 | ツヘイティア・パキ |
配偶者 | Whatumoana Paki |
子女 | ツヘイティア・パキ 他 |
父親 | コロキ・マフタ |
母親 | Te Atairangikaahu Hērangi |
テ・アタイランギカアフ(Dame Te Atairangikaahu, 1931年7月23日 - 2006年8月15日)は、第6代マオリ王(女王)。2006年に没するまでの40年間、マオリの首長としてもっとも長くその座にあった。ONZ, DBE。
テ・アリキヌイ(Te Arikinui)の称号は「偉大な首長」を意味する。本来の名はピキ・マフタ(Princess Piki Mahuta)で、農場主である Whatumoana Paki との結婚後は、ピキ・パキ(Princess Piki Paki)と呼ばれた。
生涯
[編集]第5代マオリ王コロキ・マフタと Te Atairangikaahu Hērangi の一人娘として生まれた。1966年5月、父王コロキ・マフタの葬儀の際にマオリの諸族長に推戴され、マオリ初の女王となった。
マオリの首長には元首としての権力はないが、マオリの文化行事・スポーツ行事を熱心に支援した。また、先住民問題を含む国際的会議にも出席して、その存在を広く知られた。
1970年には、マオリ人としてはじめてデイム爵(大英帝国勲章の第二位であるデイム・コマンダー爵)を得た。また、1987年にニュージーランド勲章が創設されると、その最初の受章者のひとりとなった。1973年にはワイカト大学から名誉博士号、1999年にはヴィクトリア大学から名誉法学博士号を贈られている。
1996年には来日している。
2006年8月、腎不全のためにトゥランガワエワエの女王公邸で没し、聖地であるタウピリ山に葬られた。彼女には7人の子があり、そのうちの長子ツヘイティア・パキが次のマオリ王に推戴された。
外部リンク
[編集]- ニュージー大好き!「マオリ特集」 内 マオリ女王に聞く(インタビュー記事) - 『Quarter』2000年春号収録の再掲
- 経歴
- Kingitanga - The Māori King Movement (NZHistory.net.nz)