ディルク・レーマン
表示
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
ディルク・ヨハネス・レーマン Dirk Johannes Lehmann | |||||
ラテン文字 | Dirk LEHMAN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1971年8月16日(53歳) | |||||
出身地 | アーヘン | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1992 | アレマニア・アーヘン | 51 | (21) | |||
1992-1994 | 1.FCケルン | 18 | (3) | |||
1994-1996 | リールセ | 49 | (16) | |||
1996-1997 | モレンベーク | 26 | (2) | |||
1997-1998 | エネルギー・コットブス | 24 | (1) | |||
1998-1999 | フラム | 26 | (2) | |||
1999-2001 | ハイバーニアン | 59 | (9) | |||
2001-2002 | ブライトン&ホーヴ・アルビオン | 7 | (0) | |||
2001-2003 | マザーウェル | 43 | (9) | |||
2003 | 横浜FC | 12 | (1) | |||
2004 | ヤーン・レーゲンスブルク | 6 | (0) | |||
2004-2012 | ボルシア・フライアルデンホーフェン | |||||
2012-2014 | ボルシア・フライアルデンホーフェンII | 21 | (1) | |||
2014-2015 | アルマニア・ボウルハイム | 14 | (2) | |||
2016 | スポルトフリュンデ・デューレン | 8 | (0) | |||
2016- | ハンバッハー・スピエルファーアイン | 1 | (0) | |||
通算 | 365 | (66) | ||||
監督歴 | ||||||
2014-2015 | アルマニア・ボウルハイム(選手兼任監督) | |||||
2016 | スポルトフリュンデ・デューレン(選手兼任監督) | |||||
2016- | ハンバッハー・スピエルファーアイン(選手兼任監督) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ディルク・レーマン(ドイツ語: Dirk Johannes Lehmann、1971年8月16日 - )は、ドイツ出身のサッカー選手。
経歴
[編集]アルマニア・アーヘンから1.FCケルンに加入し、リールセSK、RWDモレンベークと渡り歩いた[1]。モレンベークでは1996-97シーズンに26試合出場した他、UEFAヨーロッパリーグでも2試合に出場した[2]。
その後、エネルギー・コットブスに移籍し、フラムFCに移籍した。フラムでは26試合に出場し、その美しい口髭や艶やかな髪、そしてフラムのサポーターのユーモアから「ポルノスター」と称された[3]。フラムを退団した後はスコットランドのハイバーニアンFCに移籍[4]。
ハイバーニアンでのデビュー戦はマザーウェルFC戦で2-2の引分、しかし彼はこの試合で2得点を決め、鮮烈なデビューを果たした。2001年に契約満了に伴い退団、ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに移籍すると、彼はイヤリングをつけていたため、絆創膏をつけてピッチ上に立った[5]。その後この行為によって出場停止処分を下されている[6] 。ブライトンではスウォンジー・シティFCから得点をあげたのが唯一の得点となった[7]。
そしてマザーウェルFCに移籍し[8]、ジェームズ・マクファデンと共にアタッカーとしてプレーした[9]。
マザーウェルから放出されると、2003年7月に横浜FCに加入した[10][11]。
2004年にボルシア・フライアルデンホーフェンに加入。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 横浜FC | 9 | J2 | 12 | 1 | - | |||||
通算 | 日本 | J2 | 12 | 1 | - | ||||||
総通算 | 12 | 1 | 0 | 0 |
参考文献
[編集]- ^ “Player: Dirk Lehmann”. Footballdatabase.eu. 6 January 2012閲覧。
- ^ Hammond (ed), Mike (1997). The European Football Yearbook 1997/98. Sports Projects Ltd. ISBN 0-946866-42-2
- ^ “Cult Heroes”. Fulham F.C. official website. (27 March 2007). 8 June 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。16 April 2014閲覧。
- ^ “FULHAM : 1946/47 - 2011/12”. neilbrown.newcastlefans.com. 1 September 2012閲覧。
- ^ Leslie, Colin (12 January 2002). “Former strikers express concern for Hibs’ plight”. The Scotsman. 1 September 2012閲覧。
- ^ Coates, Jonathan (2 February 2002). “Easy target man Lehmann is planning to have last laugh”. The Scotsman. 1 September 2012閲覧。
- ^ “Swansea 1–2 Brighton”. BBC (16 October 2001). 28 December 2009閲覧。
- ^ “Motherwell axe 19 players”. BBC Sport (29 April 2002). 1 September 2012閲覧。
- ^ Gibbons, Glenn (27 December 2002). “McFadden turns the tables”. The Scotsman. 1 September 2012閲覧。
- ^ 『レーマン選手 加入のお知らせ(03.07.24)』(プレスリリース)横浜FC、2003年7月24日 。2018年8月18日閲覧。
- ^ “Lehmann heads for Asian adventure”. Sky Sports. 7 November 2013閲覧。
外部リンク
[編集]- ディルク・レーマン - Soccerway.com
- ディルク・レーマン - Soccerbase.comによる選手データ
- ディルク・レーマン - FootballDatabase.eu
- ディルク・レーマン - WorldFootball.net
- ディルク・レーマン - Transfermarkt.comによる選手データ
- ディルク・レーマン - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ディルク・レーマン - J.League Data Siteによる選手データ