デイヴィッド・ケネディ (第10代カセルス伯爵)
第10代カセルス伯爵デイヴィッド・ケネディ(英語: David Kennedy, 10th Earl of Cassillis、1727年6月25日 – 1792年12月18日)は、グレートブリテン王国の政治家、スコットランド貴族。庶民院議員(在任:1768年 – 1774年)、スコットランド貴族代表議員(在任:1776年 – 1792年)を歴任した[1]。
生涯
[編集]第2代準男爵サー・ジョン・ケネディ(1742年没、初代準男爵サー・アーチボルド・ケネディの息子、第3代カセルス伯爵ギルバート・ケネディの来孫)と妻ジーン(旧姓ダグラス(Douglas)、1767年11月1日没、アンドルー・ダグラス大尉の娘)の三男として[1]、1727年6月25日に生まれた[2]。1742年から1744年までグラスゴー大学で教育を受けた後[2]、1752年にスコットランドの法廷弁護士になった[1]。その後はエディンバラで弁護士業に従事したが、1762年に兄トマスよりニューアーク城(Newark Castle)を与えられるとエアシャーに戻った[2]。
1768年イギリス総選挙でエアシャー選挙区からの出馬を表明した[3]。エアシャーではカセルス伯爵、第10代エグリントン伯爵アーチボルド・モンゴメリー、第4代ラウドン伯爵ジョン・キャンベルが有力者であり、エグリントン伯爵の影響力が最も強かったが、ラウドン伯爵はエグリントン伯爵への対抗としてケネディを支持、第13代グレンカーン伯爵ウィリアム・カニンガムと第5代ダンフリーズ伯爵ウィリアム・ダルリンプル=クライトンも支持を表明したことで、ケネディは45票対27票で当選した[3]。
庶民院で投票した記録は1回だけ知られており、演説の記録はなかった[4]。ラウドン伯爵の支持は「カセルス伯爵が次の総選挙でラウドン伯爵の推す候補を支持する」という条件付きだったため[3]、ケネディは司法職を求めたが、失敗に終わった[4]。最終的には1774年イギリス総選挙でエグリントン伯爵、ラウドン伯爵、カセルス伯爵が手を組んでケネディを支持したが、かえってダンフリーズ伯爵、グレンカーン伯爵、第3代バクルー公爵ヘンリー・スコットなどから反感を買ってしまい、47票対60票で落選した[3]。
1775年11月30日に兄トマスが死去すると、カセルス伯爵位を継承、1776年4月15日に兄の遺産継承者として認定された[1]。1776年にスコットランド貴族代表議員に当選して、1790年まで務めた[4]。貴族院ではノース内閣が崩壊した後もノース卿を支持、1784年以降はポートランド公爵派の一員として第1次小ピット内閣に対し野党の立場をとり[2]、ホイッグ党所属の人物として扱われた[5]。ただし、エアシャー選挙区では1784年イギリス総選挙で説得を受けて小ピット派候補のヒュー・モンゴメリーを支持した[3]。
兄の代より進められていたカレイン城と庭園の増築を引き継ぎ[1]、1776年から1782年までと1787年から1790年までの2度にわたって建築家ロバート・アダムを招聘した[2]。しかし、大規模な改築が相次いだことで借金を重ね、1790年には6万5千ポンド以上の債務を背負ったため同年2月に改築を中止せざるを得なかった[2]。
1790年2月2日に継嗣限定(entail)を定め、自身の男系子孫が断絶した場合は遠戚のアーチボルド・ケネディ大尉およびその男系子孫が領地を継承するとした[1]。1792年12月18日に生涯未婚のままカレインで死去[1]、31日にメイボールの教会に埋葬された[2]。カセルス伯爵位はアーチボルド・ケネディが継承、従属爵位の(カレインの)準男爵位は廃絶した[1]。
『オックスフォード英国人名事典』によれば、遺産を遠戚ながら裕福なアーチボルド・ケネディに与えたことは先見の明のある決定であり、改築の計画が30年後までに完成した上、21世紀の始まりにはカレイン城がナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(1945年よりカレイン城を所有)の所有する不動産のうち訪問者の最も多い建物になった[2]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Paul, James Balfour, Sir, ed. (1905). The Scots Peerage (英語). Vol. II. Edinburgh: David Douglas. pp. 485–486, 490–493.
- ^ a b c d e f g h Moss, Michael S. (24 May 2008). "Kennedy, David, tenth earl of Cassillis". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/92716。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b c d e Cannon, J. A. (1964). "Ayrshire". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月26日閲覧。
- ^ a b c Haden-Guest, Edith Lady (1964). "KENNEDY, David (c.1730-92), of Newark, Ayr.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月26日閲覧。
- ^ Thorne, R. G. (1986). "Ayrshire". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月26日閲覧。
外部リンク
[編集]- "デイヴィッド・ケネディの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 アーチボルド・モンゴメリー閣下 |
庶民院議員(エアシャー選挙区選出) 1768年 – 1774年 |
次代 サー・アダム・ファーグソン準男爵 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 トマス・ケネディ |
カセルス伯爵 1775年 – 1792年 |
次代 アーチボルド・ケネディ |
スコットランドの準男爵 | ||
先代 トマス・ケネディ |
(カレインの)準男爵 1775年 – 1792年 |
廃絶 |