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デイヴィッド (ハンティンドン伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デイヴィッド
David, Earl of Huntingdon
ハンティンドン伯
在位 1184年 - 1219年

出生 1152年
イングランド王国の旗 イングランド王国ハンティンドン
死去 1219年6月17日
スコットランド王国の旗 スコットランド王国ジェドバラ
配偶者 マティルダ・オブ・チェスター
子女 一覧参照
家名 アサル家
父親 ヘンリー・オブ・スコットランド
母親 エイダ・ド・ワーレン
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ハンティンドン伯デイヴィッド(David, Earl of Huntingdon, 1152年 - 1219年6月17日)は、スコットランドの王族。スコットランド王デイヴィッド1世の次男で王位継承者ヘンリーサリー伯爵ウィリアム・ド・ワーレン英語版の娘エイダの三男。スコットランド王マルカム4世およびウィリアム1世の弟。

父よりハンティンドン伯位、ノーサンブリア伯位、カーライル伯位およびドンカスター伯位を継承した。自身は王位につかなかったが、曽孫ジョン・ベイリャルおよび玄孫ロバート1世がそれぞれスコットランド王位についた。ステュアート朝の先祖の一人でもある。

子女

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デイヴィッドは1190年8月26日に、チェスター伯ヒュー・ド・キヴェリオクの娘マティルダ(1171年 - 1233年1月6日)と結婚し、以下の子女をもうけた。

  • ロバート - 早世、ファイフのリンドレス修道院に埋葬された。
  • マーガレット(1194年頃 - 1228年) - ギャロウェイ卿アランと結婚。孫ジョン・ベイリャルはスコットランド王(在位:1292年 - 1296年)となる。
  • イザベラ(1206年 - 1251年頃) - 4代アナンデイル卿ロバート・ドゥ・ブルースと結婚。曽孫ロバート1世はスコットランド王(在位:1306年 - 1329年)となる。
  • ジョン(1207年頃 - 1237年) - チェスター伯(1232年 - 1237年)。プリンス・オブ・ウェールズのルウェリン・アプ・ヨルウェルスの娘ヘレンと結婚した。ヘレンはジョンの死後、ロバート・ド・クィンシーと再婚した。
  • ヘンリー(? - 1215年以降) - 早世、ファイフのリンドレス修道院に埋葬された。
  • エイダ(? - 1241年以降) - ヘンリー・ド・ヘイスティングスと結婚
  • マティルダ

また、デイヴィッドには以下の庶子がいた。

  • ヘンリー・オブ・スターリング
  • ヘンリー・オブ・ブレッチン(? - 1238年)
  • エイダ - ストラサーン伯ギルバートの弟マリーズ(Malise)と結婚

文学における描写

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ウォルター・スコット1825年に発表した十字軍物語シリーズ英語版の後編になる、小説『護符英語版』の主人公である“豹の騎士”ケネス卿として登場し、リチャード獅子心王を総大将とする第3回十字軍に従軍する。イスラム戦士で薬師のエル・ハキムとの友情などを経て、リチャード王の命を暗殺者から守る大殊勲を挙げる。リチャード王の姪イーディス姫と密かに相思相愛になるが、一介の騎士と王族とでは身分が違いすぎた。しかし、ケネスの正体がスコットランド王の弟デイヴィッド王子と判明し、リチャード王夫妻と実はエル・ハキムの正体だったサラディンの見守る中、2人はめでたく婚約する。

参考文献

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  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
  • 常見信代 『スコットランドの「ノルマン=コンクェスト」(2):証人構成の検討をとおして』 北海学園大学人文論集, 25: 1-40、2003年
  • 『獅子王リチャード』西村暢夫上崎美恵子文「少年少女世界文学全集 国際版」小学館 1978年

関連項目

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