デビッド・バーク (プラント・ハンター)
デビッド・バーク(David Burke、1854年 – 1897年4月11日)はイギリスのプラント・ハンターである。ヴィーチ商会(James Veitch & Sons)が世界各地に派遣したプラント・ハンターのうち、もっとも多くの地域で新種植物の採集を行った1人であり、英領ガイアナ、ビルマ、コロンビアなどで採集を行った。
略歴
[編集]ケントで生まれた。ヴィーチ商会のチェルシーの栽培農園に庭師として雇われた。1880年に自ら外国での活動を志願して、チャールズ・カーティスに同行して、ボルネオに派遣され、ハリー・ヴィーチの指示を受け、生息地が知られていなかった食虫植物のウツボカズラの一種(Nepenthes northiana)を探索した。食虫植物の発見はできなかったが、2人は多くの熱帯植物の、ランなどを発見し、バークはイギリスへ、多くのランの種(Paphiopedilum stonei、Paphiopedilum lowii[1]、Vandas)やツツジ、ウドノキ(Leea amabilis)などを持ち帰った[1][2]。
1881年には、英領ガイアナに派遣され、1839年にロベルト・ヘルマン・ショムブルクとその弟が発見した後[3]、見つけられなくなっていた食虫植物、Heliamphora nutansを再発見し、イギリスに持ち帰るのに成功した[4]。英領ガイアナから、バークがイギリスに持ち帰ったランには、学名にバークの名がつけられた Zygopetalum burkei [5]や、Phragmipedium lindleyanum がある[6]。シソ科の Amasonia punicea も持ち帰った。
2年後、コチョウラン(Phalaenopsis)を採集するためにフィリピンを訪れ、Phalaenopsis mariae (1878年にバービッジがスールー諸島で発見していた)などをイギリスに導入し、ミンダナオ島では Phaius philippinensis を発見し[7]、これはPhaius属のランがフィリピンで初めて見つかったことになった[8]。フィリピンでは食虫植物の Nepenthes burkei も発見し、種小名にバークの名前がつけられた。アンボン島で Dendrobium taurinum も発見した。
その後、バークはニューギニアへ2度旅し、Cirrhopetalum robustum と Coelogyne veitchii をイギリスへ持ち帰り[9]、ビルマでもランを探索した。1894年から1896年の間は3度、コロンビアを旅し、Cattleya mendelii、C. schroedera、C. trianae、Odontoglossum crispum を探した[10]。最後の旅で Marattia burkei を持ち帰ったが、その採集場所を記したメモは失われていた[11]。
1896年に、短期間イギリスに滞在した後、セレベス島、モルッカ諸島に旅立った。1897年4月11日、アンボン島で没した知らせはドイツ人旅行者によって知らされた[10]。
ヴィーチ商会によれば、バークはロブ兄弟を除けば、多分最も広い範囲で最も多くの距離を旅した、ヴィーチ商会の植物採集者であったとし、イギリスでの生活を好まない性格[3]は、ヴィーチ家のスー・シェファードの自伝にはバークは「ハリー・ヴィーチの最も変わっていて、最も長く働いた、最も冒険的なラン収集家」としている[12]。
参考文献
[編集]- ^ a b James Herbert Veitch (2006). Hortus Veitchii (reprint ed.). Caradoc Doy. p. 86. ISBN 0-9553515-0-2
- ^ Hortus Veitchii. p. 271
- ^ a b “David Burke (1854 – 1897)”. www.orchids.co.in. 7 November 2008閲覧。
- ^ Hortus Veitchii. p. 87
- ^ Hortus Veitchii. p. 157
- ^ Hortus Veitchii. p. 123
- ^ Hortus Veitchii. p. 149
- ^ Hortus Veitchii. p. 147
- ^ Hortus Veitchii. p. 120
- ^ a b Hortus Veitchii. p. 88
- ^ Hortus Veitchii. p. 324
- ^ Sue Shephard (2003). Seeds of Fortune – A Gardening Dynasty. Bloomsbury. pp. 201–202. ISBN 0-7475-6066-8