デミーン
デミーン Demmin | |||
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メクレンブルク州に於けるデミーンの位置 | |||
座標:北緯53度54分00秒 東経13度03分00秒 / 北緯53.90000度 東経13.05000度座標: 北緯53度54分00秒 東経13度03分00秒 / 北緯53.90000度 東経13.05000度 | |||
国家 | ドイツ | ||
州 | メクレンブルク | ||
郡 | メクレンブルギッシェ=ゼーエンプラッテ郡 | ||
Seat |
Markt 1 17109 Demmin | ||
政府 | |||
• 市长 | Thomas Witkowski (ドイツキリスト教民主同盟) | ||
面積 | |||
• 合計 | 81.62 km2 | ||
標高 | 4 m | ||
人口 (2019年12月31日) | |||
• 合計 | 10,564人 | ||
• 密度 | 130人/km2 | ||
等時帯 | UTC+1 (CET) | ||
• 夏時間 | UTC+2 (CEST) | ||
郵便番号 |
17109 | ||
自動車ナンバー | MSE, AT, DM, MC, MST, MÜR, NZ, RM, WRN | ||
ウェブサイト |
www | ||
資料更新日付:2021-01-31 |
デミーン(ドイツ語発音:(dɛˈmiːn) は、ドイツ北東部のメクレンブルクのメクレンブルギッシェ=ゼーエンプラッテ郡の町であり、旧デミーン県の県庁所在地であり、旧東ドイツ時代の領土であった。
地理
[編集]デミーンは西ポメラニア平原に、ペーネ川(英語: Peene)、トレンセ川(英語: Tollense)、トレベル川(英語: Trebel (river))の合流地点に位置している。デミーンからクメロウ湖(英語: Lake Kummerow)とシュチェチン潟湖への交通道には小舟でペーネ川を通う水路交通もあるし、ノイブランデンブルクからアルテントレプトウを経由して、道路と自転車車道による陸路交通もある。このトレンセ川とトレベル川がピーネ川と三つの河川が合流する地域は、観光目的で古代の”ツヴァイストロムランド”(ドイツ語:Zweistromland)(メソポタミアの意)を借用し、”ドライストロムランド”(ドイツ語:Dreistromland)と呼ばれている[1]。
デミーンの北部地方にはドロセドウ(Drosedow)の森とヴォルデフォルスト(Woldeforst)の森(約174ヘクタール)があり、その中にはクロンヴァルト自然保護区(Kronwald Nature Reserv)(約103ヘクタール)もある。西のペーネ川左岸には、デーヴェナー・ホルツ(Devener Holz)の森林地帯があり、左岸にはフォルヴェルカー・シュヴァイツ(Vorwerker Schweiz)の森、町の東にはサンドベルグ松樹林、南東にはヴォルヴェルク(Vorwerk)の森がある。
近隣町村
[編集]同地域の北にはノッセンドルフ(英語: Nossendorf)とロイツ(英語: Loitz)、東にはクレッツィン(英語: Kletzin)、シーデンブリュンツォウ(英語: Siedenbrünzow)、ウツェーデル(英語: Utzedel)、南にはベッゲロー(英語: Beggerow)、ボレンティン(英語: Borrentin)、シェーンフェルト(ドイツ語:Schönfeld)、西にはヴァーレンツィン(英語: Warrenzin)がある。
町村と人口統計
[編集]町村 | 2012年12月[2] | 2013年6月[2] |
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Deven | 38 | 38 |
Drönnewitz | 218 | 215 |
Erdmannshöhe | 13 | 13 |
Karlshof | 14 | 11 |
Lindenfelde | 65 | 66 |
Randow | 104 | 98 |
Seedorf | 93 | 91 |
Siebeneichen | 12 | 13 |
Vorwerk | 417 | 414 |
Waldberg | 22 | 19 |
Woldeforst | 1 | 2 |
Wotenick | 210 | 211 |
総人口 | 11,650 | 11,574 |
歴史
[編集]地名由来
[編集]デミーンという地名の由来には二説があり、一説はスラブ語"timänie"「湿地帯」が語源かもしれない。もう一説は古ポラーブ語(複数形:dyminy)の「煙」であるので、当時の人々が焼畑によって土地を開拓し、入植の可能性があると指す。1075年にブレーメンのアダムは、デミーン城をめぐる争いを記述した[3]。歴史の流れと伴い、地名も絶えず変更し、史料には「Dymine」、「Dimin」とあり、ラテン語では「Dyminium」、「Demmyn」となったが、1320年以来、現在のデミーン「Demmin」という表記で知られている。
また、史料に乏しい伝説によると、二人の王女が「デミーン城」(Haus Demmin)と呼ばれるお城を築き、城が出来上がった後、これは「彼我の家」(ドイツ語:Dat Hus is din und min)だとお互いに誓い合った。こうして、これは地名の由来となり、また、町の歩みとしても始まったと言われている[4][5][6][7][8][9]。
先史時代
[編集]中世
[編集]近現代
[編集]注釈
[編集]- ^ Georg Wagner, Nordkurier Archived 2011-07-19 at the Wayback Machine. dated 11 January 2011.
- ^ a b Kirsten Gehrke (2014年1月15日). “Einwohner-Talfahrt etwas abgebremst” (ドイツ語). 2016年1月20日閲覧。
- ^ ハンブルク教会史(英語: Gesta Hammaburgensis ecclesiae pontificum)
- ^ Temme, Jodocus Donatus Hubertus. 1840. Die Volkssagen von Pommern und Rügen. Berlin: Nicolaische Buchhandlung, p. 171.
- ^ Ferrand, Eduard. 1845. "Norddeutsche Volkssagen." In Arthur Müller, Moderne Reliquien, vol. 2, pp. 329–360. Berlin: Adolf Gumprecht, p. 351.
- ^ Schmidt, Th. 1865. Die Bedeutung der pommerischen Städtenamen: Jubelschrift zur fünf- und zwanzigjährigen Stiftungsfeier der Friedrich-Wilhelms-Schule in Stettin. Stettin: A. Rast, p. 9.
- ^ Grässe, Johann Georg Theodor. 1871. Sagenbuch des preussischen Staats, vol. 2. Glogan: Verlag von Carl Flemming, p. 466.
- ^ Knoop, D. 1891. "Allerhand Scherz, Neckereien, Reime und Erzählungen über pommersche Orte und ihre Bewohner." Baltische Studien 41: 99–203, p. 121.
- ^ Eichblatt, Hermann: Sagen, Volksglaube und Bräuche aus Demmin und Umgebung. Demmin 1925, chapter 1.