トニー・ベン
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2021年6月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2023年5月) |
アンソニー・ネイル・ウェッジウッド・ベン(Anthony Neil Wedgwood Benn, 1925年4月3日 - 2014年3月14日)、通称トニー・ベン(Tony Benn)は、イギリスの政治家、作家である。労働党所属。第2代スタンズゲイト子爵であるが、後述の経緯により彼1代の間限定でこの爵位は放棄されていた。
来歴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
元軍人で自由党から労働党に転じ、労働党政権でインド大臣などを務めたウィリアム・ベン(1877年 - 1960年)の次男として生まれる[1]。パブリック・スクールの名門ウェストミンスター校を卒業し、25歳で庶民院議員に初当選した[1]。
一方、父ウィリアムは1942年に「スタンズゲイト子爵」に叙せられ、庶民院から貴族院に移籍していた[1]。叙爵時点ではこの爵位の継承者はウィリアムの長男、トニーの兄であるマイケル・ベンであったが、マイケルは1944年に第二次世界大戦で戦死していた[1]。そのため次男のトニーが継承者となったが、トニーは貴族制も貴族院も廃止すべきとの考えを持っていた。そこで、庶民院議員になるとスタンズゲイト子爵の喪失法案を私法案として提出したが、これは否決された[1]。
父ウィリアムが1960年に死去すると、子爵位の継承が改めて問題になった。トニーは再び爵位の取り消しを議会に願い出たが認められず、第2代スタンズゲイト子爵となり、貴族身分となったことから庶民院議員資格を喪失した[1]。この時、トニーが喪失した議席をめぐって補欠選挙が行われたが、これにトニー自身も出馬し、保守党候補に40%近い大差をつけて再選した。
こうした状況を受け、労働党はトニーの主張を全面的に支援し、1961年に爵位の放棄を可能とする法案を提出した[1]。その後、庶民院と貴族院の合同委員会が設置され、1963年成立の貴族法で、先代の貴族の死去から12か月以内に届け出があれば、世襲の爵位を1代限りで放棄できることとなった[注釈 1][1]。これにより、トニーは爵位を正式に放棄し、同年の選挙で再選、以後郵政長官、エネルギー担当相、産業相などを歴任し、2001年まで半世紀余りにわたり庶民院議員として活動し続けることとなった[1]。なお、この制度はまた、成立したその年にアレック・ダグラス=ヒュームが首相(その前提として庶民院議員)となる際にも用いられた[1]。
トニーが2014年に死去すると、トニーの長男スティーヴンは爵位を継承、復活させて第3代スタンズゲイト子爵となった[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 20世紀イングランドのノンフィクション作家
- 21世紀イングランドのノンフィクション作家
- イギリス労働党の政治家
- イングランド選出のイギリス庶民院議員
- イギリスの郵政長官
- イギリスの枢密顧問官
- イギリスのパイロット
- イギリス空軍の軍人
- 第二次世界大戦期のイギリスの軍人
- 反核兵器活動家
- イングランドの平和主義者
- キリスト教社会主義者
- 社会主義の人物
- イングランドの社会主義フェミニスト
- イングランドの不可知論者
- イングランドのフェミニスト
- イングランドの活動家
- 男性のフェミニスト
- イングランドのLGBT人権活動家
- イングランドの自伝作家
- イングランドの日記作家
- 連合王国貴族の子爵
- ギラン・バレー症候群に罹患した人物
- オックスフォード大学ニュー・カレッジ出身の人物
- ウェストミンスター・スクール出身の人物
- シティ・オブ・ウェストミンスター出身の人物
- 1925年生
- 2014年没