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トニー・ママルーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・ママルーク
トニー・ママルークの画像
プロフィール
リングネーム アンソニー・ラゴット
カサノバ・ジョーンズ
C.G.アフィ
トニー・ママルーク
トニー・マリナラ
トニー・ルーク
本名 チャールズ・ジョン・スペンサー
ニックネーム イタリアン・モンスター
誕生日 (1977-07-19) 1977年7月19日(47歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ブルックリン
トレーナー ディーン・マレンコ
デビュー 1998年
引退 2012年12月1日
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トニー・ママルークTony Mamaluke)のリングネームで知られるチャールズ・ジョン・スペンサーCharles John Spencer、1977年7月19日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーニューヨーク州ブルックリン出身のイタリア系アメリカ人

2000年代初頭のECWでの活動が最もよく知られている。ECW崩壊後はWWETNAを転戦し、2012年12月に引退。引退後もレスラー活動を継続している。

来歴

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ディーン・マレンコによるトレーニングを受けた後、1998年に活動を開始し、フロリダのインディー団体にC.G.アフィC.G.Afi)やカサノバ・ジョーンズCasanova Jones)のリングネームで出場するようになった。一時的にWCWローディの名無しのファンとして登場するようになるが、ローディがアングルの関係上テレビから姿を消すとスペンサーも出演をしなくなる。しばらくするとトニー・マリナラTony Marinara)のリングネームで登場、ビッグ・ヴィトージョニー・ザ・ブルのユニット、ママルークスThe Mamalukes)にマネージャーとして加入してディーン・マレンコと抗争を開始、その後ラッシュ・ルルーとも抗争を展開した。2000年のPPVであるSouled Outに登場して以降、WCWに一度も現れることはなく、2004年にWCWは崩壊している。

ECW

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WCWから離れるとECWで登場、トニー・ママルークTony Mamaluke)のリングネームで活動を開始をしている。ママルークはリトル・グイドーフル・ブラッデッド・イタリアンズFull Blooded Italians)に加入し、マイキー・ウィップレックを相手にリングデビュー。当初はフル・ブラッデッド・イタリアンズのメンバーからトレーニングを受けていたが、2000年8月にグイドーとのタッグでTAJIRIマイキー・ウィップレックからECW世界タッグチーム王座を奪取している。以降もTAJIRI&ウィップレックと抗争していたが、11月にダニー・ドーリングロードキルのタッグにタイトルを奪われている。その後2001年4月にECWが崩壊するまで在籍しており、崩壊後はインディー団体へ進出した。

インディー団体

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ECW崩壊後はNWAワイルドサイドTNAWWA-SROHなどに参戦。ROHではジョン・ウォルターズと組んでECWの元パートナーのリトル・グイドーと抗争していた。2003年後半には、ロサンゼルスにある新日本プロレスのイノキ道場でマーシャルアーツの訓練を受けていた。2005年にプロレス復帰、10月の復帰試合でサル・リナウロとのタッグでROH世界タッグチーム王座を獲得しているが12月にタイトルを落としている。

WWE

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2005年にWWEがECW One Night Standを開催すると、ママルークはオリジナルのフル・ブラッデッド・イタリアンズとして出場し、2006年4月にWWEはECWを新しいブランドとして設立するとママルークはWWEと契約し、新しいECWへと活動の場を移している。6月のバトル・ロイヤルでデビューをしている。ママルークは2006年のOne Night StandでPPVデビューをし、リトル・グイドーとマネージャーのビッグ・グイドー共にフル・ブラッデッド・イタリアンズを復活させた。F.B.I復活試合でTAJIRIスーパー・クレイジーと対戦して勝利している。その後もグイドーとのタッグを継続しつつシングルやタッグでサブゥーハーディー・ボーイズマイク・ノックステストらと対戦。F.B.Iは12月のDecember to Dismemberでシルベスター・ターカイイライジャ・バークと対戦するが敗退し、翌2007年1月にWWEからリリースされた。

TNA

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2010年8月にTNAのECWショーであるHardcore Justiceにトニー・ルークTony Luke)のリングネームで参戦、リトル・グイドー&トレイシー・スマザーズとF.B.Iを再結成し、キッド・キャッシュサイモン・ダイアモンドジョニー・スウィンガーから勝利を収めた。その後はEV 2.0と共にリック・フレアー率いるフォーチュンと抗争するが活躍は果たせず、スカッシュ・マッチを行ったのを最後にTNAから離脱している。

2012年12月に引退。引退後もレスラーとして試合に出場している。

得意技

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イタリアン・スリーパー
ドラゴン・スリーパーと同型の絞め技、フィニッシャーとして使用している。
イタリアン・スープレックス
ジャーマン・スープレックスと同型の投げ技、ホールド式を使用する。
シシリアン・クラブ
急角度で極めるシングル・レッグ・ボストンクラブ
シシリアン・ストレッチ
ロシアン・レッグ・スウィープからのグラウンド・オクトパス・ホールド
ドロップキック
腕ひしぎ逆十字固め
フジワラ・アームバー
掌底
トルネードDDT
スプリングボード式で使用する。

獲得タイトル

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外部リンク

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