トマス・ウィラビー (庶民院議員)
表示
トマス・ウィラビー(英語: Thomas Willoughby、1694年6月11日 – 1742年12月2日)は、グレートブリテン王国の庶民院議員(在任:1720年 – 1734年)。トーリー党所属[1]。
生涯
[編集]初代ミドルトン男爵トマス・ウィラビーとエリザベス・ロスウェル(Elizabeth Rothwell、初代準男爵サー・リチャード・ロスウェルの娘)の息子として、1694年6月11日に生まれた[2]。イートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1711年11月1日にケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに入学、1720年にM.A.の学位を修得した[3]。
1720年12月、ケンブリッジ大学選挙区の補欠選挙で176票を得てヘンリー・フィンチ(ホイッグ党、143票)を破り、当選を果たした[4]。1727年イギリス総選挙では父の影響力を借りてタムワース選挙区から出馬、得票数2位(144票)で当選した[5]。得票数3位(114票)で敗れたトマス・アブニー(Thomas Abney、ホイッグ党)候補は選挙申し立てをしたが、ウィラビーの当選は覆らなかった[5]。議会では消費税法案に反対したが、それ以外の投票記録はなかったという[1]。
1742年12月2日に死去[2]、バードサルで埋葬された[3]。
家族
[編集]1719年[1]、エリザベス・サウスビー(Elizabeth Southby、1752年4月25日没、トマス・サウスビーの娘)と結婚[2]、5男4女をもうけた[1]。
- ヘンリー(1726年 – 1800年) - 第5代ミドルトン男爵、子供あり
- フランシス(1727年 – 1771年以降) - 1762年5月25日、オクタヴィア・フィッシャー(Octavia Fisher、フランシス・フィッシャーの娘)と結婚、子供あり。第7代ミドルトン男爵ディグビー・ウィラビーの父
- ジェームズ(1731年 – 1816年) - エレノア・ホブソン(Eleanor Hobson、ジェームズ・ホブソンの娘)と結婚、子供あり。第8代ミドルトン男爵ヘンリー・ウィラビーの祖父
- カサンドラ(Cassandra) - 生涯未婚
- エリザベス - 1750年、エドマンド・ガーフォース(Edmund Garforth)と結婚
- エマ(1781年没)
- アントニナ(Antonina) - 1765年、ヘンリー・ハウギル(Henry Howgill)と結婚
出典
[編集]- ^ a b c d e Sedgwick, Romney R. (1970). "WILLOUGHBY, Hon. Thomas (1694-1742), of Birdsall, Yorks.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年11月30日閲覧。
- ^ a b c "Middleton, Baron (GB, 1711/2)". Cracroft's Peerage (英語). 9 May 2012. 2019年11月30日閲覧。
- ^ a b "Thomas WILLOUGHBY (WLHY711T)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "Cambridge University". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年11月30日閲覧。
- ^ a b Sedgwick, Romney R. (1970). "Tamworth". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年11月30日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
---|---|---|
先代 ディクシー・ウィンザー トマス・パスク |
庶民院議員(ケンブリッジ大学選挙区選出) 1720年 – 1727年 同職:ディクシー・ウィンザー |
次代 エドワード・フィンチ トマス・タウンゼンド |
先代 ジョージ・コンプトン フランシス・ウィラビー |
庶民院議員(タムワース選挙区選出) 1727年 – 1734年 同職:インチクィン伯爵 |
次代 ジョン・サックヴィル卿 ジョージ・コンプトン |