トマス・コヴェントリー (第2代コヴェントリー伯爵)
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第2代コヴェントリー伯爵トマス・コヴェントリー(Thomas Coventry, 2nd Earl of Coventry、1662年ごろ – 1710年8月)は、イングランド貴族。1687年から1697年までトマス・コヴェントリー閣下、1697年から1699年までディアハースト子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]初代コヴェントリー伯爵トマス・コヴェントリーと1人目の妻ウィニフレッド(Winifred、1694年6月11日没、ピアース・エッジカムの娘)の息子として、1662年ごろに生まれた[2]。
1690年11月17日から1696年7月23日までウスターシャーの副統監を務めた[1]。
1699年7月15日に父が死去すると、コヴェントリー伯爵位を継承した[2]。同年9月22日にウスターシャー首席治安判事に任命され、1710年に死去するまで務めた[3]。このほか、コヴェントリーの市裁判所判事も務めた[1]。
1710年8月に死去、ウスターシャーのクルーム・ダビトットで埋葬された[2]。息子トマスが8歳で爵位を継承したが、トマスは1712年1月28日、イートン・カレッジ在学中に死去、2代伯爵の同母弟ギルバートが爵位を継承した[2]。
家族
[編集]1691年5月4日、アン・サマセット(1673年7月22日 – 1763年2月14日、初代ボーフォート公爵ヘンリー・サマセットと妻メアリーの娘)と結婚した[2]。
- トマス(1702年4月7日 – 1712年1月28日) - 第3代コヴェントリー伯爵[2]
トマス以外の子女は全員10歳足らずで早世した[4]。2代伯爵は死去とともに多額の債務を残したが、アンはそれをすべて返済して、50年以上未亡人として過ごした[4]。
出典
[編集]- ^ a b c Doyle, James E. (1886). The Official Baronage of England (英語). Vol. I. London: Longmans, Green, and Co. p. 470.
- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 472.
- ^ Sainty, John Christopher (November 2002). "Custodes Rotulorum 1660-1828". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月11日閲覧。
- ^ a b Major, Emma (3 January 2008) [23 September 2004]. "Coventry [née Somerset], Anne, countess of Coventry". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/6474。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
名誉職 | ||
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先代 初代コヴェントリー伯爵 |
ウスターシャー首席治安判事 1699年 – 1710年 |
次代 第2代プリマス伯爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 トマス・コヴェントリー |
コヴェントリー伯爵 1699年 – 1710年 |
次代 トマス・コヴェントリー |