トマス・ド・ビーチャム (第11代ウォリック伯)
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トマス・ド・ビーチャム Thomas de Beauchamp | |
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第11代ウォリック伯 | |
ウォリック伯トマス・ド・ビーチャム(ブルージェス・ガーター・ブック) | |
在位 | 1315年8月12日 - 1369年11月13日 |
出生 |
1313年2月14日頃 |
死去 |
1369年11月13日(56歳没) カレー |
配偶者 | キャサリン・モーティマー |
子女 | 本文参照 |
家名 | ビーチャム家 |
父親 | 10代ウォリック伯ガイ・ド・ビーチャム |
母親 | アリス・ド・レイバーン |
第11代ウォリック伯爵トマス・ド・ビーチャム(Thomas de Beauchamp, 11th Earl of Warwick、1313年2月14日頃 - 1369年11月13日)は、イングランドの貴族、軍人。
経歴
[編集]1313年から1315年頃の2月14日、第10代ウォリック伯ガイ・ド・ビーチャムとその妻アリス・ド・レイバーン(Alice de Leyburn)の間の長男として生まれる[1][2]。
1315年8月12日に父の死によりウォリック伯爵位を継承[1][2]。1329年に騎士に叙された[2]。1344年には最初のガーター騎士団員の一人となる[2][3]。同年、ウォリックシャーやレスターシャーのシェリフとなる[2]。また同年から1369年までマーシャル・オブ・イングランド(Marshal of England)を務めた[2]。
フランスとの百年戦争が始まった頃に成人し、エドワード3世に忠実なイングランド軍指揮官として1346年のクレシーの戦いや1347年のカレー包囲戦、1356年のポワティエの戦いに参戦[3][2]。フランスでの戦闘による身代金の獲得でかなりの財産を築き、居城のウォリック城の改築を行った[3]。
1369年11月13日に疫病によりカレーで死去[2]。爵位は次男トマス・ド・ビーチャムが継承した[1]。
子女
[編集]初代マーチ伯ロジャー・モーティマーの娘キャサリン・モーティマーと結婚。彼女との間に5人の息子と10人の娘を儲けた[1][2]。
- ガイ・ド・ビーチャム (?-1360)
- トマス・ド・ビーチャム (1339 – 1401), 第12代ウォリック伯を継承
- レインバーン・ド・ビーチャム (?-1361)
- ウィリアム・ド・ビーチャム (1343頃 – 1411) 初代バーガヴェニー男爵
- ロジャー・ド・ビーチャム (?-1361)
- モード・ド・ビーチャム (?-1403) 第5代ド・クリフォード男爵ロジャー・ド・クリフォードと結婚
- フィリッパ・ド・ビーチャム (?-1386) 第2代スタッフォード伯ヒュー・ド・スタッフォードと結婚
- アリス・ド・ビーチャム (?-1383) 第3代ビーチャム男爵ジョン・ビーチャム、ついでマシュー・グールネーと結婚
- ジョアン・ド・ビーチャム ドライトンの第3代ベセット男爵ラルフ・ベセットと結婚
- イザベル・ド・ビーチャム (?-1416) 第6代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ、ついで第2代サフォーク伯爵ウィリアム・ド・アフォードと結婚
- マーガレット・ド・ビーチャム ガイ・ド・モンフォールと結婚
- エリザベス・ド・ビーチャム トマス・ド・アフォードと結婚
- アン・ド・ビーチャム Walter de Cokeseyと結婚
- ジュリアナ・ド・ビーチャム
- キャサリン・ド・ビーチャム 修道女
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Warwick, Earl of (E, 1088 - 1446)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “Thomas de Beauchamp, 11th Earl of Warwick” (英語). thepeerage.com. 2020年4月27日閲覧。
- ^ a b c マーリン・エンターテイメンツ. “History of Warwick Castle” (英語). Warwick Castle. 2020年4月14日閲覧。
イングランドの爵位 | ||
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先代 ガイ・ド・ビーチャム |
第11代ウォリック伯爵 1315年–1369年 |
次代 トマス・ド・ビーチャム |