トマス・ニュージェント (第4代ウェストミーズ伯爵)

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第4代ウェストミーズ伯爵トマス・ニュージェント英語: Thomas Nugent, 4th Earl of Westmeath1669年1752年6月30日)は、アイルランド王国の貴族。

生涯[編集]

デルヴィン卿クリストファー・ニュージェント英語版(1680年以前没、第2代ウェストミーズ伯爵リチャード・ニュージェント英語版の息子)とメアリー・バトラー(Mary Butler、1641年頃 – 1737年3月28日、リチャード・バトラーの娘)の息子として、1669年に生まれた[1]チャールズ2世の治世に150ポンドの年金を受給した[2]

1684年に祖父リチャード英語版が死去すると、本来ならば兄リチャード英語版(1714年4月没)がウェストミーズ伯爵の爵位を継承するはずであるが、1698年5月にジェームズ2世アイルランド議会を招集したときに貴族院議員を務めたように、実際に爵位を名乗ったのは弟であるトマスだった[1]。そして、1714年に兄リチャードが死去すると、トマスは名実ともに爵位を継承した[1]

トマスは中佐としてジェームズ2世のアイルランド軍に従軍、1個歩兵連隊と1個騎兵連隊を指揮したが、その結果として1691年5月11日に無法者と宣言された[1]。1690年のボイン川の戦いや1691年のリメリック包囲戦英語版に参戦[2]、リメリックの降伏により捕虜になった後、無法者の宣言が取り消された[1]

1752年6月30日に死去、2人の息子に先立たれたため弟ジョンが爵位を継承した[1]

家族[編集]

1684年、マーガレット・ベリュー(Margaret Bellew、1700年没、初代ドゥーリークのベリュー男爵ジョン・ベリューの娘)と結婚[1]、2男2女をもうけた[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 106.
  2. ^ a b Norgate, Gerald le Grys (1895). "Nugent, Thomas (1656-1752)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 41. London: Smith, Elder & Co. pp. 272–273.
  3. ^ "Westmeath, Earl of (I, 1621)". Cracroft's Peerage (英語). 15 May 2010. 2019年9月7日閲覧
アイルランドの爵位
先代
リチャード・ニュージェント英語版
ウェストミーズ伯爵
1714年 – 1752年
次代
ジョン・ニュージェント