トラッドワイフ
トラッドワイフ(英: tradwife)とは、欧米諸国で伝統的であった結婚生活の中で家事を担う役割(主に専業主婦)を現代でも選ぶことも、女性の権利であると信じている女性の総称。伝統的な妻 (traditional wife) または伝統的な主婦 (traditional housewife) が元である言葉。彼女らは現代の欧米文化における「専業主婦」への優越感を持つタイプのフェミニスト・「専業主婦」を異端視する現代の価値観に反発し、家族に集中するために職(特にフルタイム労働)を辞めることを選択したり、希望する[1][2][3][4][5][6]。トラッドワイフ女性らは、働きたいタイプの女性の権利を奪おうとするのではなく、既婚女性が専業主婦になる選択が認められるべきだとの立場をとっている。現代でも結婚生活において昔ながらの既婚女性の役割を選ぶ権利があると考えている。仕事と家庭生活のバランスに悩むアメリカ人女性では「トラッド・ワイフ」がトレンドになっている[4]。その代表的存在が元ミス・カナダのシンシア・ローウェンである。彼女は専業主婦になるために医学部で学位をとる計画をやめている[7]。夫が家計を支え、妻である自分が家を守るという役割分担に満足しているというローウェンは、「やってみたら前よりとても幸せ」だと語っている[7]。
Google Trendsによると「tradwife」というワードは2018年の半ばごろから人気が上昇しはじめ[8]、それ以降もおもにソーシャルメディアなどインターネットを通じて拡散された。特にYouTubeとInstagramでは、理想の女性としてふるまうことの美徳をたたえる女性らが人気を博した[9]。未婚シングルマザー労働者率の高い黒人女性にも現代フェミニズムに騙されているとの反発、専業主婦になりたい願望から共感が広がっている[6]。
トラッドワイフの美学・価値観
[編集]トラッドワイフを自認する女性は、夫を家計を支えるお金を稼いでくるという責任を負う立場に置き、妻(自身)は必要なだけの金を受け取る代わりに家事労働をするという分業夫婦であることを好む。アレナ・ペティット(Alena Pettitt)は、1990年代を「仲間外れにされて」過ごした感覚があり、「男とは戦おう、外に出よう、独立しよう、ガラスの天井を破ろう」という空気が好きではなかったと語っている。代わりにペティットは1950年代と60年代のテレビ番組を好んで観た、という[10]。
夫が大黒柱だから、家族の面倒をみるのが彼の仕事。家計の大事なところを押さえているわけ。私がお金を使いたくなって、ソファーを買い替えたいといえば、夫は「ノー」という。家の中でも外でも、何が起こっているのかに目を光らせているのね。お金は渡してもらってるのよ。私の仕事は、家の消耗品に関することだから、その工面のためのお金はもらうのよ。そしてもし節約がうまくいけば、残ったものは何でも私のものというわけ。—テレビ番組「This Morning」で自分の立場について語るアレナ・ペティット[11]
カトリック系の雑誌「America」によれば、トラッドワイフを信奉する女性は、ヴェールを被ることさえ受け入れる場合もあり、それがヴェールに執着する男性にとっての魅力を増すことにつながっている(カトリックの女性はヴェールを敬虔さと信心のあかしと考えることもある)[12]。
反応
[編集]フェミニストでジャーナリストのウェンディ・スクワイアズは、トラッドワイフになることを選ぶことも女性の権利であると支持し、フェミニストの成功とは「選択する能力」を意味すると指摘し、彼女は下記のように選択者らを批判する者らを叱責している。
"「私たち女性が最もしてはならないことは、私たち(女性)の一部が優越感を持ち、他の女性を批判することです。女性を貶めることは家父長制の仕事であり、フェミニズムの仕事ではありません。」[5]"
アメリカやイギリスで「トラッドワイフはオルタナ右翼や白人ナショナリズムとの関係する」との立場を取る人からは、フェミニストが表現するところの「有害な女性らしさ」、内面化されたセクシズムの一形態とみなされる意見がある[13][14][15]。BBCの取材でトラッドワイフ自認女性らは自国の極右との自身の考えが関連付けられることを拒否している[16]。
それでもニューヨークタイムズは、またオルタナ右翼的思想の男性にとって、トラッドワイフという概念は極右的な考えを女性を吹き込むための作戦だと主張している[9]。ブレンダ・R・ウェバーは2019年の著書『Latter-Day Screens: Gender, Sexuality, and Mediated Mormonism』のなかで、「有害な女性らしさ」を同調圧力のせいで女性らしい性役割をかたくなに守ろうとする欲求をあらわす言葉としてもちいている。ウェバーによればこの欲求は、(ときに無意識のうちに)自分自身を無価値であると思う考え方や、常に人当りよく、親切で、かつ従順であれという要請を通じて強化されている。さらにウェバーによれば、こうした信念や切望感が生じるからといって、男性や少年の欲求や願望と切り離された「アプリオリに女性的なひとなどはいない」ということが示されている。ウェバーはこれらの規範のなかに「たいてい白人で中流階級の完全なヘテロセクシュアルで、基本的に政治については保守的である」人間が持つ、女性らしさへの願望を見出している[17]。
2018年にニューヨーク・タイムズのコラムニスト、アニー・ケリーはトラッドワイフと白人至上主義の相似に注目しつつ、さらに白人女性が出生率の低下からさらに白人の子供を産むことを求められることに対応をみいだしている[18]。出生率が下がっていることはアメリカやカナダ、イギリスなど特定の国での国勢調査から確かめられるが、政治学者のロバート・ペイプは、極右がこの人口統計を繰り返し持ち出すことで、 「グレート・リプレイスメント」あるいは「ホワイト・ジェノサイド」といわれる古くからある陰謀論が根強くなっていることを指摘している[19]。同じく政治学者のホセ・ペドロ・ズケテも、極右が反ユダヤ人的陰謀論である「シオニスト占領政府」をアメリカにおける白人の人口減少を説明するために用いている、と述べている[20]。
アメリカの詩人カター・ポリットもまた、白人の人口が減ることに対する不安を反中絶論を支持する白人の意識と結びつけている[21]。さらに、学者のモニカ・トフトは何十年も白人の人口が減少し続けていることで、公教育の質が著しく落ちたこともあいまって、人々には過去への根拠のないノスタルジーを感じやすく陰謀論につけこまれる隙がうまれていると述べている[22]。
セイワード・ダービーは2020年に著書『Sisters in Hate』のなかで、トラッドワイフであることの美学のはじまりについて論じていて、とくに自らをトラディショナルと認識する女性たちへの「インタビュー」をした。そして、一部の女性らは、白人至上主義、反ユダヤ主義、ポピュリズム、その他の超保守的な信念を含む、アメリカの政治的極右の教義を支持していると述べている[23]。他の研究者らは、主に保守的ではあるものの、穏健派から極端なまでに及ぶ、トラドワイフの間で幅広い政治的見解を特定している[24]。
トラディフの文化はフェミニズムと複雑な関係がある。選択者らに対して、批判するフェミニストだけでなく、前記のように自己は選ばないが尊重されるべき価値観の一つとして、ウェンディのような立場を取るフェミニストもいる。
トラッドワイフの美学の支持者は、現代フェミニズムを否定して、1950年代のもっとシンプルだった、家父長制の時代に戻ろうとしているだけだと言うこともあるが、あるフェミニストは、そもそも女性が家庭かキャリアかを選べるようにしたのがフェミニズムなのだと指摘している[2]。
1955年でなく2015年に主婦でいられる自分がどれだけ幸運なのかをわかってるからこそ言っている。洗濯機や食洗器、スーパーマーケット、使い捨ておむつがなかったら、私はいまのように心から楽しんで家事をできただろうか?そんなはずがない。私がいまの主婦業が好きなのは、過去へのノスタルジーとは無関係で、そもそも昔だったら私がどういうライフスタイルだったかなんてわかりっこないけれど、女性たちは完璧なまでに埃まみれになった家のなかで静かに気が狂っていくところだったわけだ。いま私がジアゼパムなしで家事のプロを楽しめているのは、永遠に主婦でいなくてもいいとわかっているからでそれ以上でもそれ以下でもない。
ヘプシバ・アンダーソンは雑誌のProspectで、トラッドワイフの美学について「少数派とはいえ、率直に言って気味が悪い」動きだと表現した[25]。
黒人女性・未婚女性に広まる共感や専業主婦願望
[編集]「トラッドワイフ」のほとんどは白人女性であるが、黒人女性にも増えてきている。2022年頃の女性、特に黒人女性は、フェミニズムや職業的野心に自分たちは「騙されてきた」と感じる人たちが多くなり、代わりに「女性の居場所は料理、掃除、子育てといった家庭にあるという考え」を支持することを選択するようになった。フェミニズム思想では、専業主婦よりも「キャリアの向上、個人の成長、経済的自立、一人暮らし」であることが尊ばれてきたが、欧米諸国民在住の女性に新たに支持される思想として、「トラッドワイフ」(伝統的妻・専業主婦)願望や思想が取って代わるものになってきている。特に伝統的な結婚・伝統的出産後生活が出来ていないタイプが多い黒人女性らは、過重労働・経済的不安の中で働きながら子育てをして生きることが普通とされる現行状態で感じているストレスから専業主婦になることは解放の鍵であると考えている。特にアメリカ合衆国では毎年産まれる新生児の約4割が未婚の母から生まれ、母子共に「暖かい家庭」というものを一度も経験したことがないことで夫・専業主婦と子供という伝統的家庭に羨望的になり、SNSでバズるようになってる[6]。
脚注
[編集]- ^ Malvern, Jack (2020年1月25日). “'Tradwife' is there to serve” (英語). The Times. オリジナルの2022年3月13日時点におけるアーカイブ。 2021年6月1日閲覧。
- ^ a b Rob Brown (2020年1月17日). “'Submitting to my husband like it's 1959': Why I became a #TradWife”. BBC News. 2020年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月17日閲覧。 “... growing movement of women who promote ultra-traditional gender roles ... images of cooked dinners and freshly-baked cakes with captions ... A woman's place is in the home ... Trying to be a man is a waste of a woman ... particularly controversial because of its associations with the far right....”
- ^ Norris, Sian (2023年5月31日). “Frilly dresses and white supremacy: welcome to the weird, frightening world of 'trad wives'” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077. オリジナルの2023年5月31日時点におけるアーカイブ。 2023年5月31日閲覧。
- ^ a b Froio, Nicole (2022年11月23日). “「伝統的な価値」への回帰を美化? TikTokで話題の「トラッド・ワイフ」とは”. LIFE INSIDER. 2024年3月26日閲覧。
- ^ a b Squires, Wendy (2020年2月21日). “Is it any wonder the 'tradwife' lifestyle is so alluring?” (英語). The Sydney Morning Herald. 2024年3月26日閲覧。
- ^ a b c Burton, Nylah. “Black "Tradwives" Think Marriage Is The Key To Liberation & Economic Survival — They’re Wrong” (英語). www.refinery29.com. 2024年3月26日閲覧。
- ^ a b Martha Cliff (2021年6月9日). “Canadian woman quits medical career to become a 'Tradwife': This Canadian woman spends all day at home cleaning and lets her husband 'lead' – insisting she is more happy as a result.”. news.com.au. 2022年2月13日閲覧。 “....A woman who trained to be a doctor has revealed why she chucked it all in to become a homemaker. Former Miss Canada, Cynthia Loewen, had been set for a high-flying career in medicine but just a few years ago she decided to leave it all behind....”
- ^ “Google Trends” (英語). Google Trends. 2023年1月16日閲覧。
- ^ a b Annie Kelly (2018年6月1日). “OPINION: The Housewives of White Supremacy”. The New York Times. 2020年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月17日閲覧。 “...Enter the tradwives. Over the past few years, dozens of YouTube and social media accounts have sprung up showcasing soft-spoken young white women who extol the virtues of staying at home, submitting to male leadership and bearing lots of children — being "traditional wives." ...”
- ^ “'Tradwife' woman claims wives should submit to their husband and spend days cooking and cleaning: A mum has revealed that she left her high flying job to join the 'Tradwife' movement.”. Heart 96-107 (2020年1月22日). 2022年2月13日閲覧。 “...She added that she felt alienated growing up in the 90s, where attitudes to male and female roles were becoming more liberal, saying: “The culture at the time was anything but what I enjoyed and it definitely made me feel like an outsider. "It was all kind of, let's fight the boys and go out and be independent and break glass ceilings. But I just felt like I was born to be a mother and a wife. "What I really related to where the old shows of the 1950s and 60s.”...”
- ^ AMY HUNT (2020年1月24日). “What is a 'tradwife' - and why is the idea proving so controversial? You may have heard of the terms housewife, stay-at-home mum, or the like. But why are 'tradwives' getting everyone talking?”. Woman and Home magazine. 2022年2月13日閲覧。 “...A 'tradwife' (short for traditional wife) is a 21st century woman who has decided to embrace super traditional, conventional gender roles, by 'submitting' to their husband and not working, staying at home to do the typical household chores, and care for the children.... considering it actually has origins in far-right circles, predominantly in the US....”
- ^ Simcha Fisher (2019年12月3日). “The types of women who veil at Mass”. America magazine. 2019年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月17日閲覧。 “...Then came the tradwives, who veil with a vengeance. These young Catholic women are highly active on social media, and they gleefully tout their physical beauty as a poke in the eye of feminism. ... a woman’s job to please her man with a fit body, on point makeup and lustrous hair that gleams as brightly as the lacy veil that covers it....”
- ^ Hadley Freeman (2020年1月20日). “'Tradwives': the new trend for submissive women has a dark heart and history: A certain kind of housewife has found social media and is airing the details of their fight with feminism. But maybe they should tone it down a notch”. The Guardian. 2022年2月13日閲覧。 “...But this isn’t actually about fighting the system: this is about women fighting against their own insecurities about their lives. ... it is very much part of the “alt-right” movement.”
- ^ Rottenberg. “Tradwives: the women looking for a simpler past but grounded in the neoliberal present”. The Conversation. The Conversation Trust (UK) Ltd. 2 June 2021閲覧。
- ^ ABC News, Bridget Judd, 23 February 2020, Tradwives have been labelled 'subservient', but these women reject suggestions they're oppressed Archived 2020-09-02 at the Wayback Machine., retrieved October 2, 2020, "...Others have likened it to an extension of white nationalism, propagating the belief that women should focus on their "natural" duties of childbearing and housekeeping..."
- ^ “'Why I submit to my husband like it's 1959'”. www.bbc.com. 2024年3月26日閲覧。
- ^ Weber, Brenda R. (2019). Latter-day Screens: Gender, Sexuality, and Mediated Mormonism. Durham, N.C.: Duke University Press. pp. 202, 206–7. ISBN 978-1-4780-0529-2
- ^ Stern (2019年7月14日). “Alt-right women and the "white baby challenge"” (英語). Salon. 2023年1月14日閲覧。
- ^ Robert A. Pape (6 January 2022). “The Jan. 6 Insurrectionists Aren't Who You Think They Are”. Foreign Policy . "These facts dovetail with a popular right-wing conspiracy theory called the "great replacement." ... that liberal leaders are deliberately engineering white demographic decline through immigration policy."
- ^ José Pedro Zúquete (2018). The Identitarians: The Movement against Globalism and Islam in Europe. University of Notre Dame Press. ISBN 978-0268104214
- ^ Katha Pollitt (2015). Pro: Reclaiming Abortion Rights. Picador. ISBN 978-1250072665. "Anti-feminism, shaming of sexually active girls and single women, fears of white demographic decline and conservative views of marriage and sexuality, or outright misogyny."
- ^ Monica Toft (2019年1月11日). “White right? How demographics is changing US politics”. Salon
- ^ Darby, Seyward (2020). Sisters in hate : American women and white extremism (First ed.). New York: Little, Brown and Company. ISBN 978-0-316-48778-8. OCLC 1238089281
- ^ Sykes, Sophia (2023年7月7日). “Tradwives: The Housewives Commodifying Right-Wing Ideology” (英語). GNET. 2024年3月26日閲覧。
- ^ Hephzibah Anderson (2019年12月9日). “How feminism forgot motherhood—and why fathers don't mind”. Prospect magazine. 2019年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月17日閲覧。 “...the fringe but frankly creepy “tradwife” movement....”