コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

トラベクテジン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トラベクテジン
IUPAC命名法による物質名
臨床データ
ライセンス EMA:リンク
法的規制
薬物動態データ
生物学的利用能不適用(静脈注射のみ)
血漿タンパク結合94 〜 98%
代謝肝臓(主にCYP3A4による代謝)
半減期180時間(平均)
排泄主に糞便
データベースID
CAS番号
114899-77-3
ATCコード L01CX01 (WHO)
PubChem CID: 108150
ChemSpider 16736970
KEGG D06199
化学的データ
化学式C39H43N3O11S
分子量761.84 g/mol
テンプレートを表示

トラベクテジン(trabectedin)は抗腫瘍薬の一つ。Ecteinascidin 743(エクテイナシジン743)あるいはET-743としても知られている。商品名はヨンデリス悪性軟部腫瘍の治療薬として日本[1]、アメリカ、ヨーロッパロシアなどで承認されている。また、乳癌前立腺癌、小児肉腫に対する治験が行われている。トラベクテジンは欧州委員会アメリカ食品医薬品局から軟部肉腫および卵巣癌に対する希少疾病用医薬品として[2]認められている。また日本でも「染色体転座を伴う悪性軟部腫瘍」の希少疾病用医薬品として認められている[3]

2009年11月、欧州委員会は、27のEU加盟国およびノルウェーアイスランドリヒテンシュタインにおける、白金系抗がん剤感受性の再発性卵巣癌の女性に対するトラベクテジンとペグ化リポソームドキソルビシンとの併用治療を認可した[4]

効能・効果

[編集]
  • 悪性軟部腫瘍[5]
    • 化学療法未治療例における有効性および安全性は確立していない。
    • 他の抗悪性腫瘍剤との併用について、有効性および安全性は確立していない。

副作用

[編集]

重大な副作用として添付文書に記載されているものは、

  • 肝不全、肝機能障害(AST(GOT)上昇(58.9%)、ALT(GPT)上昇(71.2%)等)、
  • 好中球減少(87.7%)、白血球減少(64.4%)、血小板減少(38.4%)、貧血(32.9%)、リンパ球減少(27.4%)、発熱性好中球減少症(15.1%)、感染症(肺炎(1.4%)、敗血症性ショック等)、
  • 横紋筋融解症(1.4%)、重篤な過敏症、鬱血性心不全(1.4%)、左室駆出率低下

である[5]。(頻度未記載は頻度不明)

発見と開発

[編集]

1950年代から1960年代の間、アメリカ国立癌研究所 (NCI) は植物海洋生物素材からの幅広い物質探索(スクリーニング)を行っていた。そのスクリーニングの結果、ホヤの一種であるEcteinascidia turbinata の抽出物が抗癌活性を示すことが1969年に明らかとなった[6][7]

活性分子の精製と同定は、十分に繊細な技術が開発されるまで長い年月を要したが、1984年にイリノイ大学のK. L. Rinehartによって活性成分の一つであるエクテイナシジン743の構造が決定された[8]。Rinehartは、西インド諸島の礁でスクーバダイビングによって、ホヤを収集した[9]スペインの会社PharmaMarがイリノイ大学から、この化合物のライセンスを取得し、トラベクテジンを含むホヤの養殖を試みたが大した成果はなかった[9]。ホヤからのトラベクテジンの単離収率は極めて低く、1グラムのトラベクテジンを単離するのに1トンのホヤが必要となる(臨床試験には約5グラムの化合物が必要と考えられた)[10]。そこで、Rinehartはハーバード大学化学者E. J. コーリーに、トラベクテジンの合成法の開発を依頼した。コーリーの研究グループは1996年に、トラベクテジンの全合成を発表した[11]。その後、より単純で扱いやすい合成法が開発され、ハーバード大学が特許を取得し、PharmaMarにライセンス供与した[9]。現在、トラベクテジンは、PharmaMarによって開発された、微生物Pseudomonas fluorescens の培養によって得られる抗生物質であるサフラシンB (safracin B) を出発原料とした半合成法を基に供給されている[12]

トラベクテジンは1996年に初めてヒトに投与された[要出典]。2007年に、欧州医薬品庁 (EMEA) は、アントラサイクリン系抗がん剤およびイホスファミドによる治療が失敗したかこれらの薬剤に適さない進行性軟部肉腫の患者に対する治療薬として、トラベクテジン(商品名 Yondelis)の販売を承認した。EMEA医薬品委員会 (CHMP) は、トラベクテジンは充分にデザインされた現在の最良の治療との比較ランダム化試験によって評価されておらず、臨床的有効性のデータは主に脂肪肉腫平滑筋肉腫患者に対するものであると意見を述べた。しかしながら、軸となる研究では、2つの異なるトラベクチン投与計画群で有意差が見られており、病気の希少性を鑑みて、CHMPは例外的に医薬品承認を認めることができるとした[13]。承認の一部として、PharmaMarは特定の染色体転座がトラベクテジンに対する反応性を予測するのに使えるかどうかについて明らかにするためのさらなる臨床試験を行うことに合意した。2008年にEMEAおよびFDAに対して再発卵巣癌へのペグ化リポソームドキソルビシンとの併用療法についての販売承認申請資料が提出されたが、2011年にはFDAから第III相臨床試験の追加を要求されたため米国での申請を取り下げた[14]

また、前立腺癌、乳癌、小児腫瘍に対する第II相臨床試験が行われている[15]

構造

[編集]

トラベクテジンは3つのテトラヒドロイソキノリン部と、システイン残基を含むヘテロ10員環を含む8つの環、7つの不斉中心を有している。

生合成

[編集]
トラベクテジン(ET-743)の推定生合成経路

2011年にホヤEcteinascidia turbinataの共生微生物であるCandidatus Endoecteinascidia frumentensisがエクテイナシジン743の生合成で大きな役割を果すことが明らかになった[16]Candidatus Endoecteinascidia frumentensisでの生合成は、EtuA3モジュールのアシルリガーゼドメインに脂肪酸が結合する事から始まる。システインとグリシンが標準的な非リボソームペプチド(NRPs)アミノ酸として脂肪酸に結合する[1]。次にチロシンが酵素EtuH、EtuM1、EtuM2で酸化されてメタ位が水酸化された後、パラ位の水酸基とメタ位の(水酸化されていない)炭素がメチル化される。このチロシン誘導体がピクテ・スペングラー反応で[1]の分子に結合する。この時アミノ基がアルデヒドと結合してイミンとなり、フェノール環から電子を受けて縮合環化して二級アミンとなる。この反応はEtuA2のTドメインで進む。チロシン誘導体はもう1分子が消費され、ピクテ・スペングラー反応で2つ目のニ環系構造が得られる。酵素EtuOおよびEtuF3がその後の反応に関与して、いくつかの官能基とスルフィド結合が導入され、その結果、ET-583、ET-597、ET-596、ET-594が合成される[17]。第3の(m-メチル化されていない)m-O-メチル化チロシンがピクテ・スペングラー反応で環化されて最終生成物が得られる[18]

全合成

[編集]

トラベクテジンの生合成には2つのチロシン残基の二量体化による分子の五環性コア構造の形成が関与していると考えられていたので、イライアス・コーリーによるトラベクテジンの全合成はこの生合成経路に基づいた合成戦略によって達成されている[11]。この合成は、マンニッヒ反応ピクテ・スペングラー反応クルチウス転位、不斉ロジウム-ジホスフィン触媒によるエナンチオ選択的水素化反応などを用いている。別の合成段階では、五環性骨格の構築のためにウギ反応を利用している。このような複雑な分子の合成でのワンポット多成分反応において、この反応を使用することは前例がない。

作用機序

[編集]

トラベクテジンは癌性遺伝子転写因子FUS-CHOPをブロックして粘液性脂肪肉腫の転写プログラムを逆転させることが明らかにされた。この逆転により、トラベクテジンはこれらの細胞の分化を促して癌遺伝子の発現を阻止している。

遺伝子の転写干渉を除いて、トラベクテジンの作用機序は複雑で完全には解明されていない。DNAに結合しグアニンのN2位をアルキル化する化合物が知られている。この結合は二重螺旋の副溝で、3〜5塩基の間で起こり、特にCGGの配列で多いことがin vitroの研究で判明している。その他に反応が起き易い配列はTGG、AGC、GGCである。一旦結合するとこの可逆的共有結合付加物は、主溝に向かってDNAを曲げ、活性化している転写に干渉し、転写共役ヌクレオチド除去修復複合体を損傷し、RNAポリメラーゼIIの分解を促進し、DNA二重らせんを崩壊させる[19]

また、DNA骨格の切断と細胞のアポトーシスを引き起こす、DNA鎖近傍での超酸化物の生成が関与していると考えられている。実際の作用機構は知られていないが、化合物のヒドロキシキノン骨格における普通でない自己酸化還元反応によって分子状酸素が超酸化物へと還元されることによって開始されると考えられている。また、化合物が活性型のオキサゾリジン型に変化しているとの推測もある。

出典

[編集]
  1. ^ 新規抗悪性腫瘍剤「ヨンデリス点滴静注用」 悪性軟部腫瘍の効能・効果で製造販売承認取得”. 大鵬薬品工業 (2015年9月28日). 2015年9月30日閲覧。
  2. ^ 欧州医薬品庁 (2009年). “Yondelis trabectedin EPAR summary for the public”. 2011年3月19日閲覧。
  3. ^ 平成25年度希少疾病用医薬品・希少疾病用医療機器試験研究助成金の交付決定のお知らせ(年度当初申請分)”. 医薬基盤研究所 (2013年7月11日). 2015年9月30日閲覧。
  4. ^ PharmaMar (2010年5月26日). “About Yondelis”. 2011年3月19日閲覧。
  5. ^ a b ヨンデリス点滴静注用0.25mg/ヨンデリス点滴静注用1mg 添付文書” (2016年4月). 2016年7月1日閲覧。
  6. ^ Sigel, M. M.; Wellham, L. L.; Lichter, W.; Dudeck, L. E.; Gargus, J.; Lucas, A. H. (1970). Younghen, H. W., Jr., Ed.. ed. Food-Drugs from the Sea Proceedings, 1969. Washington, DC: Marine Technology Society. pp. 281-295 
  7. ^ Lichter et al.. Worthen LW. ed. Food-drugs from the sea. Proc: Aug 20–23, 1972.. 173. Marine Tech Soc. pp. 117–127. 
  8. ^ Rinehart KL (2000). “Antitumor compounds from tunicates”. Med. Res. Rev. 20 (1): 1–27. doi:10.1002/(SICI)1098-1128(200001)20:1<1::AID-MED1>3.0.CO;2-A. PMID 10608919. 
  9. ^ a b c William J. Cromie (2000-05-04). “Potent cancer drugs made -- Sea squirts provide recipe” (英語). The Harvard University Gazette. http://news.harvard.edu/gazette/2000/05.04/cancersquirt.html 2011年3月11日閲覧。. 
  10. ^ Stephanie Pain (1996-09-14). “Hostages of the deep - Prospectors are taking to the seas in search of new and promising chemicals. But the better the drugs turn out to be, the greater the threat to the animals that produce them. Stephanie Pain investigates”. New Scientist (2047). http://www.newscientist.com/article/mg15120473.600-hostages-of-the-deep--prospectors-are-taking-to-the-seas-in-search-of-new-and-promising-chemicalsbut-the-better-the-drugs-turn-out-to-be-the-greater-the-threat-to-the-animalsthat-produce-them-itstephanie-painit-investigates.html. 
  11. ^ a b E. J. Corey, David Y. Gin, and Robert S. Kania (1996). “Enantioselective Total Synthesis of Ecteinascidin 743”. J. Am. Chem. Soc. 118 (38): 9202–9203. doi:10.1021/ja962480t. 
  12. ^ Cuevas C, Pérez M, Martín MJ, Chicharro JL, Fernández-Rivas C, Flores M, Francesch A, Gallego P, Zarzuelo M, de La Calle F, García J, Polanco C, Rodríguez I, Manzanares I. (2000). “Synthesis of ecteinascidin ET-743 and phthalascidin Pt-650 from cyanosafracin B”. Org. Lett. 2 (16): 2545–2548. doi:10.1021/ol0062502. PMID 10956543. 
  13. ^ EMEA (2009年). “Yondelis Procedural steps taken and scientific information after the authorisation”. 2011年3月15日閲覧。
  14. ^ Grogan, Kevin (3 May 2011). “J&J pulls submission for Zeltia's Yondelis”. PharmaTimes Magazine (London, England): Online PharmaTimes. オリジナルの2011年5月7日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/5yVqjzpzc?url=http://www.pharmatimes.com/Article/11-05-03/J_J_pulls_submission_for_Zeltia_s_Yondelis.aspx 7 May 2011閲覧。 
  15. ^ PharmaMar. “Yondelis”. 2011年3月15日閲覧。
  16. ^ Rath CM, et al. (November 2011). “Meta-omic characterization of the marine invertebrate microbial consortium that produces the chemotherapeutic natural product ET-743”. ACS Chemical Biology 6 (11): 1244–56. doi:10.1021/cb200244t. PMC 3220770. PMID 21875091. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3220770/. 
  17. ^ Rath CM, etal (November 2011). “Meta-omic characterization of the marine invertebrate microbial consortium that produces the chemotherapeutic natural product ET-743”. ACS Chemical Biology 6 (11): 1244–56. doi:10.1021/cb200244t. PMC 3220770. PMID 21875091. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3220770/. 
  18. ^ Rath CM, etal (November 2011). “Meta-omic characterization of the marine invertebrate microbial consortium that produces the chemotherapeutic natural product ET-743”. ACS Chemical Biology 6 (11): 1244–56. doi:10.1021/cb200244t. PMC 3220770. PMID 21875091. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3220770/. 
  19. ^ Grohar, Griffin LB, Yeung C, et al. (2011-02). “Ecteinascidin 743 Interferes with the Activity of EWS-FLI1 in Ewing Sarcoma Cells”. Neoplasia 13 (2): 145-53. PMID 21403840. 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]