トレーシー・マレー
ロサンゼルス・レイカーズ AC | |
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ポジション | SF |
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1971年7月25日(53歳) |
出身地 | カリフォルニア州ロサンゼルス |
身長(現役時) | 201cm (6 ft 7 in) |
体重(現役時) | 102kg (225 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | UCLA |
ドラフト | 1992年 18位 |
選手経歴 | |
1992-1994 1995 1995-1996 1996-2000 2000 2001-2002 2002-2003 2003-2004 2004-2005 2005-2006 2006-2007 |
ポートランド・トレイルブレイザーズ ヒューストン・ロケッツ トロント・ラプターズ ワシントン・ウィザーズ デンバー・ナゲッツ トロント・ラプターズ ロサンゼルス・レイカーズ ポートランド・トレイルブレイザーズ パナシナイコスBC PAOKテッサロニキ エラン・シャロン |
指導者経歴 | |
2007-2009 2011 2015- |
ベイカーズフィールド・ジャム (Dリーグ) (AC) タルサ・ショック (WNBA) (AC) ロサンゼルス・レイカーズ (AC) |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
トレーシー・マレー(Tracy Lamonte Murray, 1971年4月20日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のバスケットボール選手。NBAのワシントン・ウィザーズなど6チームに所属していた。ポジションはスモールフォワード。身長201cm、体重104.3kg。NBAプレイヤーのラモンド・マレーとは従兄弟同士である。
経歴
[編集]カリフォルニアのグレンドラ高校に通っていたマレーは、大学も地元のUCLAを選び、3年間スコアラーとして活躍した。
3年生終了時にアーリーエントリー、1992年のNBAドラフト全体の18位でサンアントニオ・スパーズに指名された。しかし、ドラフトから数日後に、ミルウォーキー・バックスへ、さらにはポートランド・トレイルブレイザーズへトレードされた。ブレイザーズでは短い出場時間ながら、シューターとして持ち味を発揮した。2年目には3Pの成功率が45.9%に達し、リーグで最も成功率が高い選手になった。
3年目の1994-95シーズン途中に、クライド・ドレクスラーらと共にヒューストン・ロケッツへ移籍。チームは2年連続となるチャンピオンに輝いたが、プレイオフのロスターには入れなかった。
1995年にフリーエージェントとなったマレーは、11月にトロント・ラプターズと契約。95-96シーズンは、82試合全試合に出場、37試合で先発し、自己最高の平均16.2得点、4.3リバウンド、1.6アシストと才能を開花させた。
1996年に再びフリーエージェントとなったマレーは、ワシントン・ブレッツと契約した。1998-99シーズンに調子を落とした以外は、ベンチからの出場が大半ながら平均二桁得点をマークした。1998年2月10日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦では50得点を挙げ、周囲を驚かせた。
2000-01シーズン前に、ポパイ・ジョーンズとの交換でデンバー・ナゲッツへ移籍、シーズン途中にはケビン・ウィリスらとの交換でラプターズへ復帰した。2002年6月に、リンゼイ・ハンターとの交換でロサンゼルス・レイカーズへ移籍した。出身の地でプレイできることを喜んだが、次第に衰えが見え始め、控えでも活躍できない試合が多くなった。2003-04シーズンは、古巣のブレイザーズでプレイ。翌2004-05シーズンは、ニューヨーク・ニックスと契約したものの、プレシーズン中の10月下旬に解雇され、NBAのキャリアは幕を閉じた。
その後ギリシャに渡り、ヨーロッパチャンピオンのパナシナイコスBCと契約し1シーズンプレイした。それからPAOK BCに移り、2006年1月まで所属した。
2006年12月に、フランスのChalonと契約した。
外部リンク
[編集]- NBA.com トレーシー・マレー(英語版)
- 選手の通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference