トーマス・ウェブスター
トーマス・ウェブスター Thomas Webster | |
---|---|
生誕 |
1800年3月10日 イギリス、ロンドン |
死没 |
1886年9月23日 イギリス、クランブルック(Cranbrook) |
トーマス・ウェブスター(Thomas Webster RA、1800年3月10日 – 1886年9月23日)は、イギリスの画家である。学校や村の生活を描いた風俗画で人気があった。多くの画家集まったケント州のクランブルックの芸術家村(Cranbrook Colony)で長年、活動した。
略歴
[編集]ロンドンに生まれた。父親は国王ジョージ3世の邸の使用人であった。音楽の才能を示し、ウィンザー城のセントジョージ礼拝堂や、ロンドンのセント・ジェームズ宮殿のチャペル・ロイヤルの聖歌隊員になった。画家になるために、音楽を止め、1821年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校に入学し、1824年には展覧会に肖像画を出展し、翌年美術学校の展覧会で1等を受賞した[1]。
1828年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に学校の生活を描いた作品を出展し、アカデミーの展覧会や民間展覧会「British Institution」に多くの作品を出展した。1840年にロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、1846年に正会員に選ばれた。アカデミーの展覧会には76歳になるまで出展を続け、1876年に引退し退会した。1878年に自画像を描き、1879年に最後の作品を描いた[2]。
1835年から1856年の間はロンドンのケンジントンに住んだが、その後の30年間はケント州のクランブルックの芸術家村(Cranbrook Colony)で過ごした。クランブルックではジョージ・オニール(George Bernard O'Neill: 1828–1917)やフレデリク・ダニエル・ハーディ(1827-1911)といった画家が活動していた。1886年にクランブルックで亡くなった[2]。
学校の生徒や、村の人々といった題材で風俗画を描き、作品は版画にされて出版され人気があった[3]。1838年から1878年までロンドンで版画を出版した「The Etching Club」の会員でもあった[2]。
作品
[編集]-
「病気と健康」(1843)
-
「村の合唱団」(1843) ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
-
村の学校(c.1866) ウェブスターの原画による版画
参考文献
[編集]- ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Webster, Thomas (painter)". Encyclopædia Britannica. Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 464.
- ^ a b c "Dodgson, Campbell (1899). "Webster, Thomas (1800-1886)". In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography. Vol. 60. London: Smith, Elder & Co. p. 127.
- ^ Thomas Webster biography Archived 2012-03-07 at the Wayback Machine. ("Leighton Fine Art).