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トーマス・バッハ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーマス・バッハ
Thomas Bach
2014年1月10日撮影
生誕 (1953-12-29) 1953年12月29日(70歳)
西ドイツバイエルン州ヴュルツブルク
国籍 ドイツ
出身校 ヴュルツブルク大学法学部卒業
職業 弁護士
肩書き 第9代国際オリンピック委員会会長
任期 2013年9月10日 - 現在
前任者 ジャック・ロゲ
スポーツ経歴
西ドイツの旗 西ドイツ
競技フェンシング
獲得メダル
オリンピック
1976 モントリオール フルーレ団体
世界選手権
1977 ブエノスアイレス フルーレ団体
1973 イェーテボリ フルーレ団体
1979 メルボルン フルーレ団体
ドイツ選手権
1978 フルーレ個人
署名

トーマス・バッハ英語: Thomas Bach1953年12月29日 - )は、ドイツ弁護士、元フェンシング選手。第9代国際オリンピック委員会会長英語版

1976年モントリオールオリンピック西ドイツ代表として出場した。ドイツオリンピックスポーツ連盟英語版執行委員会委員などを歴任した。

来歴

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生い立ち

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1953年から1977年まで過ごしたタウバービショーフスハイム(de)市内、ゾンネンプラッツ広場の住居に掲げられた説明板

西ドイツバイエルン州ヴュルツブルク出身。ヴュルツブルクに近いバーデン=ヴュルテンベルク州タウバービショーフスハイムドイツ語版で育ち、両親の元、同市のゾンネンプラッツ (Sonnenplatz) で1977年まで暮らした。

この町のフェンシングクラブでスポーツを始めた。同クラブは、アマチュアトレーナーのエミール・ベックによって1950年代中頃に設立され、70年代に世界のリーダーへと成長。これまでにオリンピックで38個、世界選手権・欧州選手権で298個のメダルを獲得している。早くに父を亡くしたトーマス少年はこのクラブで心身を鍛えた[1]

1972年、同地のマティアス・グリューネヴァルト・ギムナジウム(高校に相当)を卒業し[2]、1973年から1979年までヴュルツブルク大学法学部法律・政治学を学んだ。1979年、第一次国家試験(司法試験)を通過して卒業した。主にドイツ連邦議会での司法研修期間を終えて1982年、第二次国家試験(司法試験)に合格し、1983年、博士論文「連邦憲法裁判所の裁判における予測の影響」(Der Einfluss von Prognosen auf die Rechtsprechung des Bundesverfassungsgerichts)で博士号(法学)を取得した。続いて、タウバービショーフスハイムに自身の弁護士事務所を開設した。

1985年、アディダス(スポーツ用品)執行役会会長のホルスト・ダスラーに誘われ、同社の国際関係部局の責任者。1988年から1990年まで、連邦経済大臣の中産層顧問団の調整役を務めた。1995年からフィリップ・ホルツマン株式会社(建設コンツェルン)の顧問[3]。1998年、タウバービショーフスハイムのミヒャエル・ヴァイニッヒ株式会社(工作機械)の監査役会会長に就任。2000年から2008年まで、シーメンス(電機)の顧問。2000年から2009年まで、シーメンス・スイスの取締役会構成員[4]。産業コンサルタントのヴィルヘルム・シェルスキーより政府人脈を買われてシーメンスの執行役会に推薦された[5]。2005年から2009年まで、MANフェロスタール有限会社(鉄鋼)の顧問[6]。2008年から2013年まで、メリウス有限会社の諮問委員会委員長となり、投資会社「クウェイティ・ジャーマン・ホールディング・カンパニー」の子会社としてドイツ国内の活動を担った。2009年から2013年まで、ニュルンベルク保険株式会社オーストリアの監査役会構成員、バルテック有限会社(産業保安技術)の諮問委員会委員[7][8]

2006年5月、ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会議所 (Ghorfa Arab-German Chamber of Commerce and Industry) の会長に就任。IOC会長の就任後に辞任した。

母語のドイツ語の他、スペイン語フランス語英語に堪能[9]

フェンシング選手の経歴

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1970年代、タウバービショーフスハイムのフェンシングクラブに所属し、フルーレの選手として活動した。1971年、世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。1973年、フェンシング世界選手権にフルーレ団体で出場し、準優勝。1976年、モントリオールオリンピックフェンシングフルーレ団体で西ドイツチームの一員として金メダルを獲得し、同時に世界選手権優勝となった[10]。1977年、世界選手権のフルーレ団体で優勝。1978年、ドイツ選手権のフルーレ個人で優勝。同年、フルーレ団体のヨーロッパ・チャンピオンズカップで優勝。1979年、メルボルンの世界選手権にフルーレ団体で出場し、銅メダルを獲得した。

スポーツ団体の職歴

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2021年7月14日、総理大臣官邸にて内閣総理大臣菅義偉(右)と

早くからスポーツ関連の職を手がけており、1975年から1979年まで、西ドイツ・フェンシング連盟(DFB)のスポークスマンを務めた。1981年、IOCに新設されたアスリート委員会の委員。1982年、西ドイツ(後のドイツ)・オリンピック委員会の委員に就任。

1991年にIOC委員となり、ドイツ・オリンピック委員会の職を辞任した。1995年、スポーツ仲裁裁判所の控訴部の代表者に任命された。1996年にIOCの理事に就任。2002年冬季オリンピック開催地の決定(ソルトレークシティ)と2004年夏季オリンピック開催地の決定(アテネ)に際しては評価委員会の委員長を務めていた。2000年 - 2004年2006年 - 2013年は副会長を務めた。すなわち、まず、2000年のシドニーオリンピックに際して開かれた第111次IOC総会で、IOC副会長に選出され(ドイツからは史上3人目)[11]、輪番制により2004年8月、この職を離れたが、続いて2006年、トリノ冬季オリンピックに際してのIOC総会で副会長に再選され、当時のジャック・ロゲ会長の有力な後任候補となった[12]

2006年5月、ドイツスポーツ連盟(DSB)とドイツ・オリンピック委員会(DOK)の合併により新設されたドイツ・オリンピック・スポーツ連盟(DOSB)から名誉会長に任命されたが[11]、IOC会長就任後の2013年9月16日、辞任した[13]

複数のIOC委員会で委員長を務めたほか、2006年、地元ドイツで開催されたサッカー・ワールドカップでは組織委員会の監査役会の構成員。2011年、女子サッカーのワールドカップでは組織委員会の管財委員会の委員を務めた。

2013年9月10日アルゼンチンブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会で、ジャック・ロゲの後任として第9代IOC会長に選出された[14]。その際にクウェートの政治家でスポーツ団体役員のアフマド・アルファハド・アルサバ―(en)が有力支援者となっていたことから、会長選挙の直前になってIOC倫理委員会の調査が入った[15][16]

2016年10月20日に、筑波大学で講演した折に筑波大学の名誉博士号が授与された[17]

2022年9月22日に、27日に実施される故安倍晋三国葬儀にバッハ会長が国際オリンピック委員会代表として参列することが、日本国外務省により発表された[18][19]

2024年8月10日、パリオリンピック開催中に実施されたIOC総会でバッハ会長は「新しい時代は新しいリーダーを求めている」と語り、引退を表明した[20]。アフリカや中南米の委員から続投を望む声が上がっていたが、任期満了の来年に予定通り退任する。この際「多くの人を失望させたことは分かっている」と発言したが[21]、これはパリ五輪のことではなく自分が引退するとの決断のことである。

政治活動

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ドイツ自由民主党(FDP)の党員。バーデン=ヴュルテンベルク州議会のFDP・民主人民党(DVP)会派の推薦により、第14回連邦会議(=2010年連邦大統領選出会議)の議員を務めた。

功績

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自身が推進してきた『オリンピック・アジェンダ2020』は、世界中から寄せられた4万件以上のオリンピックに対する意見を40項目に集約したもの。2014年12月のIOC臨時総会で、この40の改革案すべてが満場一致で採択された[22]。このアジェンダに基づき追加種目制度、男女混合種目の増加、女子種目の増加、複数都市共催大会(2026年冬ミラノ/コルティナ・ダンペッツォオリンピック)開催決定と実績を上げている。アジェンダには脱コンパクト五輪である「主催都市ではない他の都市への分散開催を、開催国家の中で可能とする」アジェンダが含まれていた。このアジェンダが守れない場合、開催都市として立候補は行えない[23]

批判

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2014年2月7日、ソチオリンピックにてロシア大統領ウラジーミル・プーチン(右)と

トーマス・バッハは、2000年代に入ってからシーメンス社とコンサルティング契約を結んでいたことが2008年4月に明らかになり、批判を浴びた。この契約では、2008年に40万ユーロの報酬が支払われ、1日あたり5,000ユーロの追加費用が支給されていた。バッハは、シーメンスグループのためにアラブ諸国からの招待状を手配したと言われている。シーメンス社の監査役会メンバーは、このような高額な料金で日当を追加で支払うのは「まったく普通ではない」と批判した。また、シーメンスがスポーツ関連の契約で利益を得ていたことから、利益相反の可能性や、職業上の活動とスポーツ当局者としての活動が重なっているとの批判もあった[24][25][26]

2008年6月14日、国際オリンピック委員会の副会長としての職務において、委員会が特に制限された情報政策を行っていたとして、ジャーナリスト協会「ネッツヴェルク・レシェルシェドイツ語版」から不名誉な「閉じた牡蠣賞ドイツ語版」を授与された[27]。 賞の受賞理由書によると、委員会は「長年にわたり、大会の裁定における汚職や利益相反」を容認しており、「情報政策」で「フェアプレー」とは正反対の運営を行っていたという[27]

ドイツ民主共和国(東ドイツ)のスポーツ担当官Karl-Heinz Wehrが担当した非公式協力者シュタージ記録ドイツ語版によると、バッハは1986年に国際ボクシング協会 (AIBA) の会長であるアンワル・チョードリー英語版の選挙を操作するための話し合いに参加していた[28]

バッハは、ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会議所ドイツ語版(Ghorfa)の会長としての行動が批判された。Ghorfaは、アラブ諸国への輸出を希望する企業の貿易書類を認証している。これは、製品にイスラエル製の部品が含まれていないことを証明するものである。これは1970年代にアラブ連盟のイスラエル・ボイコットの一環として導入された[29][30]

2016年、バッハはロシアの国ぐるみのドーピング事件の一環として、大きな批判を受けた。バッハは、個人的に親しくしているロシア大統領ウラジーミル・プーチンのシンパであり、そのため個人的な理由から、ロシアの情報機関や当局が隠蔽し、ロシア反ドーピング機関(RUSADA)が運営するロシアのトップアスリートの大量の国家ドーピングに対して、IOC内で一貫した行動を取らなかったと非難された[31]

バッハは1994年7月からドイツ連邦共和国の外交旅券を所持している。バッハはIOCで「ドイツの特別な関心事」を追求するためにこれを受け取ったが、これはIOCのメンバーには規約で禁止されている。その後、パスポートは何度か延長されている。ドイツ外務省はこれを事後的に正当化することができなかった[32]

スポーツ当局者のパット・ヒッキー英語版に対する汚職捜査で、バッハはブラジル警察への証人喚問を拒否した。また、バッハは2016年パラリンピックにも姿を見せなかった[33][34]

2020年、Twitterを通じて配信された「東京2020オリンピックの予選を通過した選手たちが予選通過のままであることは明らかです」[35]という発言が批判された。バッハの決定は、「スポーツの公平性とはあまり関係のないグロテスクな状況を生み出している」とピーター・トレビングは書いている。これは、すでに予選を通過した選手よりも2021年に著しく優れている可能性のある競技者に不利益を与えるためである[36]

2021年3月には、日本国内で緊急事態宣言中にもかかわらず「(東京五輪は)安全で確実に開かれる」など発言したことで猛烈な批判を浴び、5月6日に共同通信社が配信した『米有力紙、日本に五輪中止促す IOC批判「開催国を食い物」[37]』という記事の中でワシントン・ポスト記事の一文である「Baron Von Ripper-off」を「ぼったくり男爵」と訳したことでさらに批判が高まり、この語は同年のユーキャン新語・流行語大賞トップテンに選出された[38]

東京オリンピック前、来日した際のJOC関係者との公開会談では「最も大事なのは中国国民の安全です」と日本と中国を誤認したようなコメントをし会場から失笑をかう一幕もあった。[39]

顕彰

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  • 1977年:西ドイツ年間最優秀チームに選出(フルーレ団体・西ドイツ代表の一員として)
  • 1981年:ドイツ連邦共和国功労十字小綬章
  • 1984年:バーデン=ヴュルテンベルク州功労勲章
  • 1993年:ドイツ連邦共和国功労十字勲章・一等
  • 2004年:ドイツ連邦共和国功労大十字勲章
  • 2008年:タウバービショーフスハイム市名誉市民
  • 2013年:ドイツ・オリンピック・スポーツ連盟(DOSB)名誉会長
  • 2013年:IOC「金の鍵」
  • 2014年:ヨーロッパ・オリンピック委員会(EOC)功労勲章
  • 2015年:モントリオール市名誉市民
  • 2015年:ラインホルト・マイヤー・メダル
  • 2016年10月20日:筑波大学名誉博士。
  • 2018年:サインズ・アウォード(SignsAward)
  • 2018年:ソウル市名誉市民[40]
  • 2020年:ソウル平和賞

その他

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オリンピックの聖火ランナーを4度務めている。大会と場所はそれぞれ、2004年、アテネオリンピック、ベルリン。2008年、北京オリンピック、北京。2010年、バンクーバー冬季オリンピック、バンクーバー。2012年、ロンドンオリンピック、ロンドン。2010年、シンガポールで開かれた第1回夏季ユースオリンピック大会ではベルリンで聖火ランナーを務めた。

動画

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  • 「トーマス・バッハ:新たなロード・オブ・ザ・リング?、"スポーツの内側"と"ストーリー"」(ケルン西ドイツ放送局<WDF>の補助金による動画)[41] [Hajo Seppelt & Robert Kempe: Thomas Bach – Der neue Herr der Ringe?, "Sport inside" und "Die story" (mit Unterstützung des investigativen Ressorts des WDR)]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ トーマス・バッハ|ドイツ ニュースダイジェスト
  2. ^ MGG TBB: Fechterfolge der Schüler / ehemaligen Schüler am MGG. (Nicht mehr online verfügbar.) MGG TBB, archiviert vom Original am 18. Mai 2015; abgerufen am 9. April 2015.
  3. ^ Personelle Konsequenzen und Verbindungen bei Holzmann. In: Der Spiegel (Vorabversion aus Ausgabe 50/1999). 11. Dezember 1999, abgerufen am 20. Dezember 2014.
  4. ^ Hans Leyendecker, Klaus Ott: Siemens und Bach trennen sich. In: Süddeutsche Zeitung. 27. Juni 2008, abgerufen am 10. Oktober 2012.
  5. ^ Fürsorgliche Belagerung. In: Der Spiegel. Nr. 17, 2008 (online).
  6. ^ Thomas Bach hatte weiteren Berater-Vertrag. In: Spiegel Online. 7. April 2017, abgerufen am 9. Juni 2017.
  7. ^ Vita Thomas Bach. (Memento vom 10. Februar 2014 im Internet Archive) dosb.de
  8. ^ Neuer IOC-Präsident Bach legt bisherige Ämter nieder. In: Spiegel Online. 16. September 2013, abgerufen am 20. Dezember 2014.
  9. ^ Kurzporträts der sechs IOC-Präsidentschaftskandidaten, auf stern.de vom 9. September 2013 (Memento vom 11. September 2013 im Webarchiv archive.today)
  10. ^ オリンピック開催年の特例としてオリンピックの成績が世界選手権を兼ねるため。Fechten: Historie und Regeln
  11. ^ a b Thomas Kistner, Klaus Ott: Heikle Details. In: Süddeutsche Zeitung. 26. April 2008, abgerufen am 13. Oktober 2012.
  12. ^ Evi Simeoni: Finte und kerzengerader Ausfall. In: Frankfurter Allgemeine Zeitung. 19. Mai 2006, abgerufen am 13. Oktober 2012.
  13. ^ Thomas Bach als DOSB-Präsident zurückgetreten - Hans-Peter Krämer übernimmt Amtsgeschäfte bis zur Neuwahl (Memento vom 4. März 2016 im Internet Archive)
  14. ^ IOC新会長にトーマス・バッハ氏 ロシアの声(日本語版) 2013年9月12日閲覧
  15. ^ Grit Hartmann: Der Scheich der Ringe. In: Die Zeit. 11. September 2013, abgerufen am 20. Dezember 2014.
  16. ^ Johannes Aumüller, Thomas Kistner: Favorit in der Bredouille. In: Süddeutsche Zeitung. 2. September 2013, abgerufen am 20. Dezember 2014.
  17. ^ “IOCバッハ会長、筑波大で講演 東京が五輪の転換点に”. 東京新聞. (2016年10月20日). オリジナルの2016年10月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161021125725/https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016102001000926.html 2016年10月21日閲覧。 
  18. ^ 故安倍晋三国葬儀への各国・地域・国際機関等からの参列 | 外務省
  19. ^ 「故安倍晋三国葬儀への参列:各国・地域・国際機関等の名称及び代表者名」(PDF)
  20. ^ 運動部, 時事通信 (2024年8月11日). “IOCのバッハ会長、来年退任へ 「新たなリーダー必要」:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2024年8月15日閲覧。
  21. ^ バッハIOC会長、来年退任へ 続投論も、任期通りに”. ライブドアニュース. 2024年8月15日閲覧。
  22. ^ 2020年東京オリンピックでの追加競技は?”. tvstation.jp. 2019年11月1日閲覧。
  23. ^ 最悪の場合「東京開催」剥奪も!? 小池都知事、五輪マラソン問題でIOCと徹底抗戦も…識者「都がいつまでも不満述べるなら…」”. www.zakzak.co.jp. 2019年11月2日閲覧。
  24. ^ Thomas Kistner, Klaus Ott (2008年4月26日). “Heikle Details”. 南ドイツ新聞. 2012年10月13日閲覧。
  25. ^ IOC-Vize Bach und CDU-Abgeordneter Adam in Erklärungsnot” (2008年9月20日). 2012年10月13日閲覧。
  26. ^ Achim Tack (2008年10月4日). “IOC-Vize Bach noch stärker unter Druck”. Spiegel Online. 2012年10月13日閲覧。
  27. ^ a b Verschlossene Auster an das Internationale Olympische Komitee (IOC)”. netzwerk recherche e. V. (2008年6月14日). 2015年11月28日閲覧。
  28. ^ Schatztruhe geöffnet”. Der Spiegel (1996年7月14日). 2021年7月14日閲覧。
  29. ^ Grit Hartmann: Im Schnittbereich. In: Berliner Zeitung, 27. Juni 2013.
  30. ^ Grit Hartmann, Jens Weinreich (2012年7月25日). “Ein kühler Netzwerker”. Frankfurter Rundschau. 2014年12月20日閲覧。
  31. ^ Jens Weinreich (2016年7月24日). “Dabei sein ist alles”. Spiegel Online. 2016年7月28日閲覧。
  32. ^ Johannes Aumülle, Thomas Kistner (2016年11月2日). “Neue Irritationen um Thomas Bachs Diplomatenpass”. Süddeutsche Zeitung. 2016年11月4日閲覧。
  33. ^ Johannes Aumüller und Thomas Kistner (2016年9月7日). “Brisante Mails an Thomas Bach”. 南ドイツ新聞. 2016年11月21日閲覧。
  34. ^ Fabian Scheler (2016年9月8日). “Nun beschämt er auch noch den Behindertensport”. Die Zeit. 2016年11月21日閲覧。
  35. ^ ara (2020年3月28日). “Tokio 2021: Bach garantiert schon qualifizierten Sportlern Startrecht für Olympische Spiele”. Spiegel Online. 2020年5月14日閲覧。
  36. ^ Der Sonntag (Karlsruhe), 29. März 2020, S. 13.
  37. ^ 米有力紙、日本に五輪中止促す IOC批判「開催国を食い物」”. nordot.app. nordot.app. 2022年1月23日閲覧。
  38. ^ 流行語大賞は「リアル二刀流」 「うっせぇわ」「親ガチャ」も入選”. www.jiji.com. www.jiji.com (2021年12月1日). 2022年1月23日閲覧。
  39. ^ バッハ氏、「日本」を「中国」と言い間違い 「反発招いた」米紙報道”. 2021年7月14日閲覧。
  40. ^ ソウル市名誉市民”. english.seoul.go.kr. english.seoul.go.kr. 2022年1月23日閲覧。
  41. ^ Video: Thomas Bach – Der neue Herr der Ringe? auf YouTube

外部リンク

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その他の役職
先代
ベルギーの旗 ジャック・ロゲ
オリンピックの旗 国際オリンピック委員会会長
第9代:2013年 -
次代
現職