トーマス・ロシター
トーマス・ロシター Thomas Rossiter | |
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Peter Paul Duggan による肖像画 | |
生誕 |
1818年9月20日 アメリカ合衆国,ニューヘイブン |
死没 |
1871年5月17日 アメリカ合衆国,コールド・スプリング・ハーバー |
トーマス・ロシター(Thomas Prichard Rossiter、1818年9月20日 - 1871年5月17日)はアメリカ合衆国の画家である。アメリカの歴史を題材にした作品で知られる。
略歴
[編集]コネチカット州のニューヘイブンに生まれた。肖像画家のナサニエル・ジョスリン(Nathaniel Jocelyn:1796-1881)などから絵を学んだ[1]。
1838年にニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会に出展し、翌年、ニューヨークに移ってスタジオを開いた。1840年にアッシャー・ブラウン・デュランド、ジョン・フレデリック・ケンセット、ジョン・ウィリアム・カシリアとヨーロッパに渡った。ヨーロッパでは、イタリアを訪れたトマス・コール(1801-1848)と共にローマに滞在し、ロシターは1846年までローマに滞在しニューヨークに戻った。ニューヨークではケンセットとルイス・ラングと共同でスタジオを開いた[1]。
1849年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれた。1851年に結婚し、1853年に夫妻はパリに移り、パリにスタジオを開いた。パリでは双子が生まれ、1855年のパリ万国博覧会に出展し金賞を受賞したが、妻が娘の出産後に死亡したため、1856年に家族はニューヨークに帰国した[1]。
1857年頃から、アメリカの歴史を題材に大作を描くようになり、「マウントバーノンの邸でのジョージ・ワシントンとラファイエット」やワシントンの初代内閣などを描いた[2]。
1860年に再婚し、パットナム郡にハドソン川を見下ろす邸に住んだ。亡くなるまで、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインやペンシルヴェニア美術アカデミーの展覧会に出展した[1]。
作品
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「ワシントンとラファイエット」(1859)
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ワシントンの墓を訪れたイギリス皇太子とブキャナン大統領
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"Spilt Milk"
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A Studio Reception
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ナポレオンの墓
脚注
[編集]- ^ a b c d “Thomas Prichard Rossiter and Rossiter family papers, 1840-1961”. Archives of American Art. Smithsonian Institution. 14 August 2013閲覧。
- ^ “Thomas Prichard Rossiter”. Digital Encyclopedia. George Washington's Mount Vernon. 4 August 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。14 August 2013閲覧。
参考文献
[編集]- Gilman, D. C.; Peck, H. T.; Colby, F. M., eds. (1905). New International Encyclopedia (1st ed.). New York: Dodd, Mead.