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トーマス・B・フィッツパトリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーマス・B・フィッツパトリック
Thomas B. Fitzpatrick
生誕 (1919-12-19) 1919年12月19日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州マディソン
死没 2003年11月16日(2003-11-16)(83歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州レキシントン
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 皮膚科医
活動期間 1952–1987
著名な実績 メラノーマ紫外線照射に関する研究
代表作 フィッツパトリックのスキンタイプ
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トーマス・バーナード・フィッツパトリック(Thomas Bernard Fitzpatrick、1919年12月19日 - 2003年11月16日)は、アメリカ合衆国皮膚科医である。1959年から1987年までハーバード大学医学大学院皮膚科学科長、マサチューセッツ総合病院皮膚科医長を務めた。フィッツパトリックは多くの皮膚科医を育て、「近代皮膚科学の父」「この100年間で最も影響力のある皮膚科医」と評されている[1]

生涯

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フィッツパトリックは1919年12月19日ウィスコンシン州マディソンで生まれた。ウィスコンシン大学マディソン校を卒業した後、ハーバード大学医学大学院医学博士号(M.D.)を取得した。ハーバード在学中に、当時比較的新しい分野だった皮膚科学に興味を持った。ボストン市立病院英語版でインターンを経験した後、ミネソタ大学に入学して病理学Ph.D.を取得した。第二次世界大戦中は陸軍医療センターに2年間勤務した。その後、ミシガン大学メイヨー・クリニックで臨床皮膚科学の研修を受けた。

研修を終えた1952年、32歳でオレゴン大学皮膚科学科の教授兼学科長に就任した。1959年にはハーバード大学医学大学院皮膚科学科の主任教授に就任した。当時39歳で、これは同学の主任教授では史上最年少だった[2]

講演や指導のために頻繁に来日し、日本の皮膚科医の育成に貢献したことから、1987年に旭日章が授与された[3]

業績

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フィッツパトリックはメラノーマに関する初期の研究を行った。1966年、フィッツパトリックと皮膚病理学者のウォレス・H・クラーク・ジュニア英語版は、ジョン・レイカー、マーティン・C・ミーム・ジュニアとともに、マサチューセッツ総合病院にアメリカ初の色素性病変の診察室を設置した。クラークはこの診察室での研究により、メラノーマの病理組織診断を行うためのクラーク・レベル英語版を開発した。フィッツパトリックらは、メラノーマの兆候に関する体系的な研究を世界で初めて行った[4]

フィッツパトリックは、メラノーマの発生に日焼けが果たす役割について研究し、1975年、様々な肌の色に共通する日焼けの起こり方について発表し、そのためにフィッツパトリックのスキンタイプを開発した[5][6]。フィッツパトリックは他の研究者や製薬企業ともに、世界初近代的な日焼け止めを開発し、その試験を行った[7]。また、乾癬などの皮膚疾患の治療法としてPUVA療法を開発した[1]。基礎科学の分野においては、メラノソームとヒト由来チロシナーゼを発見した[2]

フィッツパトリックが執筆した"Fitzpatrick's Dermatology in General Medicine"は、臨床皮膚科学における最初の主要な参考書となった[8]

私生活

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フィッツパトリックはベアトリス・デバニー(Beatrice Devaney)と結婚し[2]、5人の子供をもうけた。

人の名言を集めるのが趣味で、その膨大な資料をもとに、『ボストン・グローブ』紙で"Reflection for the Day"というコラムを妻とともに執筆していた[1]

フィッツパトリックは2003年11月16日マサチューセッツ州レキシントンの自宅で死去した。

脚注

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  1. ^ a b c Long, Tom (August 19, 2003). “Thomas Fitzpatrick, Doctor and Teacher”. Boston Globe: p. 63. https://www.newspapers.com/clip/48105654/thomas-b-fitzpatrick-1919-2003/ April 6, 2020閲覧。  オープンアクセス
  2. ^ a b c “Thomas B. Fitzpatrick”. Harvard Gazette. (September 22, 2005). http://news.harvard.edu/gazette/2005/09.22/14-mm.html September 14, 2014閲覧。 
  3. ^ John A. Parrish. “Thomas B. Fitzpatrick, MD, PhD (1919-2003)”. JAMA Dermatology. 2023年2月10日閲覧。
  4. ^ Mihm, Martin C. Jr.; Sober, Arthur J. (2004). “Melanoma Before and After Thomas B. Fitzpatrick”. Journal of Investigative Dermatology 122 (2): xxxii–xxxiii. doi:10.1046/j.1523-1747.2003.22252.x. PMID 15009760. 
  5. ^ Sommers, Marilyn S.; Fargo, Jamison D.; Regueira, Yadira; Brown, Kathleen M.; Beacham, Barbara L.; Perfetti, Angela R.; Everett, Janine S.; Margolis, David J. (2019). “Are the Fitzpatrick Skin Phototypes Valid for Cancer Risk Assessment in a Racially and Ethnically Diverse Sample of Women?”. Ethnicity & Disease 29 (3): 505–512. doi:10.18865/ed.29.3.505. ISSN 1049-510X. PMC 6645720. PMID 31367171. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6645720/. 
  6. ^ Fitzpatrick TB: "Soleil et peau [Sun and skin]". Journal de Médecine Esthétique 1975; 2:33–34
  7. ^ Pathak M.A.; Fitzpatrick T.B.; Frenk, E. (1969). “Evaluation of Topical Agents That Prevent Sunburn”. N Engl J Med 280 (26): 1459–63. doi:10.1056/NEJM196906262802607. PMID 5786516. 
  8. ^ Goldsmith, Lowell (2012). Fitzpatrick's Dermatology in General Medicine (8th ed.). ISBN 978-0071669047 [要ページ番号]