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ドイツ社会主義労働者党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドイツ社会主義労働者党(ドイツしゃかいしゅぎろうどうしゃとう、ドイツ語: Sozialistische Arbeiterpartei Deutschlands, SAPD)は、かつてドイツに存在した政党。ただし、

  1. 1875年から1890年まで存在し、ドイツ社会民主党に改称したドイツ社会主義労働者党
  2. 1931年から1945年まで存在したドイツ社会主義労働者党

の2つがある。後者はSozialistische Arbeiterpartei, SAPと呼ばれることもある。

ドイツ社会主義労働者党(1875年 - 1890年)

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1875年設立のドイツ社会主義労働者党(SAPD)は、ゴータにおいて、世界で初めて議席を獲得した社会主義政党[1][2]であったフェルディナント・ラッサール全ドイツ労働者協会(ADAV)と、アウグスト・ベーベルヴィルヘルム・リープクネヒトドイツ社会民主主義労働者党(SDAP)が合併して生まれたドイツの左翼政党。

ドイツ社会民主労働党のマルクス主義アイゼナハ派」と、それよりは穏健な「ラサール派」の統一は、1875年の6月22日から27日にかけて行われ、同時に「ゴータ綱領」(de:Gothaer Programm)も採択された。3年後、ビスマルクによって制定された社会主義者鎮圧法によって、党は地下に押しやられた。党の代議士たちはなお議会に出ることを許されたが、集会・組織化・会報の出版が禁じられた。

1877年には国会の選挙で50万票を獲得した。1890年には、なおも社会主義者鎮圧法は続いていたが、140万票を得て勝利し、ドイツ最大の政党になった。

社会主義者鎮圧法は、ビスマルクが社会主義を危惧した結果だった。ビスマルクは社会主義者たちが2つの暗殺未遂事件の犯人であると信じていた。社会主義者鎮圧法は3年ごとに更新されたが、1890年の秋にビスマルクが政界を去った時、それは終わった。すぐさまドイツ社会主義労働者党は党名をドイツ社会民主党(SPD)に改称し、それは現在まで続いている。

ドイツ社会主義労働者党(1931年 - 1945年)

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1931年秋に設立された第二のドイツ社会主義労働者党(SAPD、SAP)は、ドイツ社会民主党から分離した左翼分派のグループである。1932年、共産党から分離した何人かがこのグループに加わったが、党の規模は小さいままだった。1933年から、グループのメンバーは非合法にナチズムに反対して活動した。

後にヴィリー・ブラントとして知られることになるヘルベルト・エルンスト・カール・フラームは若い頃(1931年)、師ユリウス・レーバーの忠告に背いて、リューベックでこのグループに加わった。ブラントは自伝にこう書いている。「1931年の秋、ナチとドイツの国家主義者たち、突撃隊(SA)、前線兵士同盟たちがハルツブルク戦線を結成した……党指導者による懲戒的な措置の結果として、社会民主主義の左翼が分離したのはちょうどその時のことだった。少数の国会議員と(とりわけザクセン州の)活動的な党のグループ、とくに大部分の若い社会主義者が、ドイツ社会主義労働者党の結成に参加を呼びかけた人々に続いた」。

1934年、SAPDの若者たちがInternationales Büro Revolutionärer Jugendorganisationenの設立に参加した。オランダで会議が開かれたが、オランダ警察によって散会させられ、数人のSAPD代議員はドイツ当局に引き渡された。この会議は後にリールで再招集された。ブラントは組織の書記官に選出され、スウェーデンで活動した。

SAPDはInternational Revolutionary Marxist Centreに属したが、統一戦線人民戦線の問題で、大部分のインターナショナル、独立労働党(Independent Labour Party)とともに瓦解した。

第二次世界大戦期、一部のSAPDメンバーがグレートブリテン島に移住し、そこで党のために活動した。彼らの多くはドイツ社会民主党(SPD)のメンバーになった。したがってこのSAPDは第二次世界大戦以降再結成されることはなかった。ブラントも後にSPDの党首になった。

脚注

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  1. ^ Élie Halévy and May Wallas, "The Age of Tyrannies," Economica, vol. 8, no. 29, pp. 77-93.
  2. ^ Murray Bookchin. The Third Revolution: Popular Movements in the Revolutionary Era, Volume 2. PP。 284.

参考文献

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  • Hanno Drechsler, Die Sozialistische Arbeiterpartei Deutschlands (SAPD): Ein Beitrag zur Geschichte der Deutschen Arbeiterbewegung am Ende der Weimarer Republik, Meisenheim am Glan: Hain, 1963; Repr. Hannover: Politladen, 1971; 2. Repr. Hamburg: Junius, 1999. (The classic account)

関連項目

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外部リンク

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