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ドゥエンツァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドゥエンツァ
Douentza
ドゥエンツァ(2009年)
ドゥエンツァ(2009年)
位置
ドゥエンツァ・コミューンの地図の位置図
ドゥエンツァ・コミューンの地図
位置
ドゥエンツァの位置(マリ共和国内)
ドゥエンツァ
ドゥエンツァ
ドゥエンツァ (マリ共和国)
座標 : 北緯15度0分0秒 西経2度57分0秒 / 北緯15.00000度 西経2.95000度 / 15.00000; -2.95000
行政
マリ共和国の旗 マリ
  ドゥエンツァ州
  ドゥエンツァ圏
 コミューン ドゥエンツァ
地理
面積  
  コミューン域 90 km2
標高 303 m
人口
人口 (2009年現在)
  コミューン域 24,005人
    人口密度   267人/km2
  備考 [1]
その他
等時帯 グリニッジ標準時 (UTC+0)

ドゥエンツァフランス語: Douentzaフラニ語: Duwayⁿsa[2])は、マリ共和国ドゥエンツァ州ドゥエンツァ圏のコミューン[3]。同州、同圏の首府でもある。人口は24,005人(2009年国勢調査)。モプティガオを結ぶ国道RN16号線沿い、モプティから東北東へ145キロメートルの距離にある。

旧市街ではフラニ語が、国道沿いではバンバラ語が多く話されている[2]

歴史

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19世紀以前

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ドゥエンツァは19世紀頃、フラニ族が建国したHaayre(あるいはHayre)王国の主要都市であった。国名は「岩場」を意味しており、近郊の岩石地帯が町を襲撃や侵略から守った[4]。少なくとも17世紀からマシナ帝国が台頭し、後にトゥクロール帝国ウマル・サイドゥ・タール英語版に征服されるまで、トゥアレグ族とフラニ族によって争われていた[5]フランスは1890年代に進出し、現地の統治機構を部分的に植民地に組み込み間接統治を行った。ドゥエンツァはフラニ族の町ではあるが、郊外にはトゥアレグ族(元奴隷は「Bella」と呼ばれる)、バンバラ族などが住んでいる[6][7][8]

2012年マリ北部紛争

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2012年4月5日、マリ北部で急速に実効支配地域を広げていた反政府勢力のアザワド解放民族運動(MNLA)に占領された。MNLAはドゥエンツァを「国境」と表現し、大規模攻勢の終了を宣言した[9]。翌日、MNLAはアザワドとしてマリからの独立を宣言した[10][11]

8月末時点で町はソンガイ族系民兵組織 Ganda Isoとイスラム系武装組織西アフリカのタウヒードと聖戦運動英語版(MOJWA)が合意の下共同統治していたが、MOJWAはGanda Isoが合意に反した動きを見せているとして町を包囲し、9月1日にドゥエンツァを制圧した。報道によれば民兵らは戦わずに降伏したという[12][13]

イスラム系武装組織に対してフランスは軍事介入を行い(セルヴァル作戦)、2013年1月15日にドゥエンツァ高校を爆撃した。この攻撃はほかの空爆や地上部隊と連携して行われ、1月21日にジャン=イヴ・ル・ドリアン国防大臣はドゥエンツァの奪還を発表した[14]

2021年2月10日、反政府勢力の攻撃により国際連合マリ多元統合安定化ミッションの隊員20人が負傷した[15]

交通

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出典

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  1. ^ DOUENTZA”. Citypopulation (2017年7月26日). 2024年5月16日閲覧。
  2. ^ a b Douentza”. dogonlanguages.org (2016年). 2021年2月22日閲覧。
  3. ^ Mali. Document sur le nouveau découpage administratif février 2023”. Malinews tv (2023年2月22日). 2024年5月7日閲覧。
  4. ^ Angenent, C., A. Breedveld, M. de Bruijn et H. van Dijk. Les rois des tambours au Haayre, récitée par Aamadu Baa Digi, griot des Fulbe à Dalla (Mali). Leiden: Brill. 2002.
  5. ^ Mirjam de Brurjn and H. van Dijk. "Ecology and Power in thé Periphery of Maasina: The Case of the Hayre in the Nineteenth Century." The Journal of African History 42, no.2:217-38. 2001.
  6. ^ Mirjam de Brurjn and Lotte Pelckmans. Facing Dilemmas: Former Fulbe Slaves in Modern Mali. CJAS / RCEA 39:1 2OO5
  7. ^ Selma Griep. "Coping strategies of the Riimaybe in Douentza, Central Mali." In Sahelian Pathways, Climate and Society in Central and South Mali, edited by M. de Bruijn, H. van Dijk, M. Kaag and K. van Til. Leiden: Brill. 2004.
  8. ^ Renate Zondag. "Dynamics of a Rural Centre: Douentza in the Semi-Arid Sahel." In Sahelian Pathways, Climate and Society in Central and South Mali, edited by M. de Bruijn, H. van Dijk, M. Kaag and K. van Til. Leiden: Brill. 2004.
  9. ^ Tuareg Fighters Declare Mali Ceasefire”. InterPress News Service/Al Jazeera (5 April 2012). 8 June 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。6 April 2012閲覧。
  10. ^ “Tuareg rebels declare the independence of Azawad, north of Mali”. Al Arabiya. (6 April 2012). http://english.alarabiya.net/articles/2012/04/06/205763.html 6 April 2012閲覧。 
  11. ^ Déclaration d'indépendence de l'Azawad”. mnlamov.net (6 April 2012). 5 April 2012閲覧。
  12. ^ Islamist rebels gain ground in Mali, seize control of Douentza, ousting former allied militia”. The Washington Post (1 September 2012). 11 December 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。2 September 2012閲覧。
  13. ^ Mali Islamists take strategic town of Douentza”. BBC News (1 September 2012). 23 December 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2 September 2012閲覧。
  14. ^ Mali. Les villes de Diabali et Douentza reprises aux islamistes”. フランス・アンフォ (2013年1月26日). 2024年5月17日閲覧。
  15. ^ Twenty U.N. peacekeepers wounded in central Mali attack”. ロイター通信 (2021年2月11日). 2024年5月17日閲覧。