ドゥマンジェル・ダミアン
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2014年11月) |
ドゥマンジェル・ダミアン Demangel Damien | |
---|---|
生誕 |
1977年6月21日(47歳) フランス リヨン |
職業 | ラブレフランス語学教室経営者 |
ドゥマンジェル・ダミアン (Demangel Damien、1977年6月21日 - )は、東京(表参道)にあるラブレフランス語学教室の経営者で、フランス語教師。2006年に初来日し、2008年にラブレフランス語学教室設立[1]。
フランスのリヨンに生まれる。父は医者でアルデシュ県(Ardèche)の元修道院の場所に医院を開業し家族で移住。5歳から9歳まで水泳、サッカー、テニスなど様々なスポーツに親しみ、特に水泳においては多数の試合に出場し入ている。 6歳の頃に父が購入したパソコンをオモチャとしてBASICを使い始める。14歳の時、最愛の父を交通事故で亡くし、その後は母の故郷である南仏プロヴァンスに引っ越す。18歳の時、兵役でフランス陸軍に入隊。大学時代、不遇な子供たちへの教育を支援する活動としてSocial Centerで教師をし、通信教育で教師の資格も取得した。
大学時代の1998年から「Webutility」を作成し始め、2003〜2004年はIT関連の雑誌に多数掲載され、このソフトがフランス全土に波及していった。卒業後、アルルで「internet-entreprise」というIT会社を設立し地元のゴッホ美術館のウェブサイト作成を行う。
日本の影響
[編集]8歳の時、キャンピングカーで家族旅行中に柔道のワークショップを受け初めて見る畳の道場に感動する。これが後に日本への興味のきっかけとなっている。14歳から18歳まで空手、柔道、キックボクシング、テコンドー、合気道と多様な武道を身につける。特に合気道は人の相手の力に力で対抗せず、相手の“気”に自らの「“気”を合わせ」相手の攻撃を無力化させるところに魅了される。
15歳の時、アルルの空手クラブ大会でチャンピオン獲得[2]。武道を通じて日本の歴史に興味を持ち日本語を学ぶようになる。
来日後、語学学校で教師として働きながら日本語を学び日本語能力試験1級を取得。[3]
ラブレフランス語学教室 年表
[編集]- 2009年 表参道に移転
- 2011年4月 フランス語スクールからインターナショナルランゲージスクールへ
- 2012年10月17日 合同会社設立
- 2014年10月1日 同じビルの2階に移転開校
- 2015年3月 株式会社ラブレフランスに変更
書籍
[編集]- 『楽しいフランス語』2015年10月1日(株式会社ラブレフランス)ISBN 978-4-9908586-0-5
出演
[編集]テレビ
- メイド・イン・ジャパン(TBS)2011年1月2日(日)午後2:00〜ゲスト メイン司会は雨上がり決死隊