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ドニ・サスヌゲソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドニ・サスヌゲソ
Denis Sassou-Nguesso


任期 1992年3月15日1992年8月31日
1997年10月25日 – 現職
首相 アンドレ・ミロンゴ英語版
イシドール・ムヴーバ英語版
クレマン・ムアンバ英語版
アナトール・コリネ・マコソ

任期 1979年2月8日1992年3月15日
首相 ルイ・シルヴァン=ゴマ英語版
アンジェ・エドゥアール・プウンギ英語版
アルフォンス・ポアティ=スシュラティ英語版
アンドレ・ミロンゴ英語版

任期 2006年1月24日2007年1月24日

任期 1986年7月28日1987年7月27日

任期 1979年3月31日 – 現職
書記長 アンブロワーズ・ヌマザレ英語版
イシドール・ムヴーバ英語版
ピエール・ンゴロ英語版
ピエール・ムーサ英語版

出生 (1943-11-23) 1943年11月23日(80歳)
フランス領赤道アフリカ エドウ英語版
政党 コンゴ労働党
受賞
配偶者 アントワネット・サスヌゲソ英語版
(1969年 - )
子女 ドニ=クリステル・サスヌゲソ英語版
(1975年 - )
エディット・ボンゴ英語版
(1964年 - 2009年)
親族 オマール・ボンゴ(娘婿)
宗教 キリスト教カトリック

ドニ・サスヌゲソフランス語: Denis Sassou-Nguesso, 1943年11月23日 - )は、コンゴ共和国政治家軍人。現在、同国大統領コンゴ労働党(PCT)党首。名前の表記はドゥニ・サス=ンゲソ[1]とも。

経歴

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1960年軍隊に入隊。

コンゴ労働党を結成し、マルクス・レーニン主義的政策を実施してきたマリアン・ングアビが暗殺された後、1977年にPCT軍事委員会第1副委員長および国防相となった。1979年2月にングアビを継承したジョアキム・ヨンビ=オパンゴ大佐が無能であるとして解任されると、1979年8月にはPCT党首および大統領に就任。

サスヌゲソは強権政治緩和の方向を打ち出し、マルクス・レーニン主義路線から西欧諸国と関係改善を図るなど柔軟な政策へ転換した。

1992年8月の大統領選で社会民主主義パン・アフリカン連合パスカル・リスバ委員長に敗れ、下野した。その後、1993年の選挙で不正があったとしてリスバ派とサスヌゲソ派は対立し、両者間で武力衝突が発生。内戦英語版に発展した。1995年12月に一度和平合意が成立するものの、1997年に再びコンゴ共和国内戦英語版が激化し、6月に両派が衝突。勝利したサスヌゲソはリスバを追放して政権を掌握し、1997年10月25日に再度大統領に就任した。その後、2002年、2009年、2016年[2]に再選された。2015年には憲法を改正し、大統領選挙への立候補は70歳以下とする年齢制限を撤廃したほか、1期7年で2期が上限だった大統領任期を1期5年、3期が上限と改め、自らの2016年、2021年大統領選挙への立候補に道を開いた[3]

2021年3月21日執行の大統領選挙英語版でも88.4%の票を獲得し再選した[4]。この選挙では野党有力候補のギブリス・パルフェ・コレラ英語版が投票日前日の20日に新型コロナウイルスに感染し重体となり、選挙では7.84%の票を獲得[4]。投票日翌日の22日に死去している[5]

2021年10月にはパンドラ文書に名前が載っていることが公表された。それによれば、サスヌゲソはタックス・ヘイヴンであるイギリス領ヴァージン諸島にあるペーパーカンパニーを通じて自国のダイヤモンド鉱山を所有しているとされる[6]

人物

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既婚者であり、子(1男1女)が存在する。

長男のデニス=クリステル英語版はドニと同じく同国の政治家として活動している。

長女のエディット=リュシー英語版ガボンの大統領を務めたオマール・ボンゴ・オンディンバ(2009年没)の夫人であった。

遠い親戚)に、同国のジャーナリスト兼政治家であるアルレット・スーダンフランス語版英語版がいる。

自身らの写真が入った物を無料で配っている。

出典

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公職
先代
ジャン=ピエール・ティステル・チカヤ英語版
パスカル・リスバ
コンゴ共和国の旗 コンゴ共和国大統領
1979 - 1992
1997 -
次代
(現職)
外交職
先代
オルシェグン・オバサンジョ
アフリカ連合総会議長
第4代:2006 - 2007
次代
ジョン・アジェクム・クフォー
先代
アブドゥ・ディウフ
アフリカ統一機構議長
第24代:1986 - 1987
次代
ケネス・カウンダ