コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ドミニク・ディ・ピアッツァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドミニク・ディ・ピアッツァ
Dominique Di Piazza
ドミニク・ディ・ピアッツァ
基本情報
生誕 1959年
出身地 フランスの旗 フランス リヨン
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン、作曲家
担当楽器 ベース、ギター
公式サイト www.dominiquedipiazza.com

ドミニク・ディ・ピアッツァDominique Di Piazza1959年 - )は、フランスリヨン生まれのエレクトリックベース奏者である。

ディ・ピアッツァは、1979年にベースと出会った。すでに独学で覚えたギタリストであったディ・ピアッツァは、右手の親指、人差し指、中指でピッキングする独特でありながら非正統的な「クローズド・パーム」テクニックを開発した。それはエレクトリックベース奏者としてあまり聴かれることのないほどのスピードを彼に与えてくれるものだった[1]

1991年から1992年までジョン・マクラフリン・トリオのメンバーを務め、トリロク・グルトゥとともに300回に及ぶコンサートと、アルバム『ケ・アレグリア』のワールド・ツアーを行い、マシュー・ギャリソン、アダム・ニッティ、ルーカス・ピックフォードなど、ヨーロッパやアメリカの多くのベーシストに影響を与えた。

2000年、ディ・ピアッツァは、ギターのビレリ・ラグレーンとドラムのデニス・チェンバースからなるフロント・ページというグループで、同名アルバム『Front Page』(サニーサイド)をリリースした[2]。2001年、このアルバムはその年のベスト・ジャズCDとしてヴィクトリー・ミュージック・アウォードを受賞した。

2005年と2006年に、ディ・ピアッツァはレユニオンモーリシャスマダガスカルなどアフリカ10か国をツアーし、レユニオン出身のピアニストであるMeddy Gerville、ギターのJean-Marie Ecay、ドラマーのHoracio Hernandezが同行した。このツアーは、インディペンデント・レーベルからリリースされた『Jazz Amwin』(Meddy Gerville名義)と呼ばれる新しいCDへとつながった。

ディスコグラフィ

[編集]

リーダー・アルバム

[編集]
  • Front Page (2000年、Universal Music France) ※Front Page名義
  • Dominique Di Piazza Plays Spiritual Hymns (2002年)
  • Princesss Sita (2008年、Sunnyside)
  • Face To Face / Yüzyüze (2011年、Lir Prodüksiyon Müzik & Film) ※with Zeki Çağlar Namlı
  • 4 essential (2011年、Plus Loin Music) ※4 essential名義。with Debora Seffer
  • Living Hope (2015年、Lan Note Bleue Production)

脚注

[編集]
  1. ^ Pick’s Transcription Workshop: Dominique Di Piazza Bass Solo on Que Alegria”. bass musician magazine (11 November 2010). 5 June 2015閲覧。
  2. ^ Stuart Nicholson (March 2004). “Dennis Chambers/Bireli Lagrene/Dominique Di Piazza Front Page Sunnyside”. JazzTimes. 5 June 2015閲覧。

外部リンク

[編集]