ドムス・セプティミ・セウェリ
ドムス・セプティミ・セウェリ Domus Septimii Severi Domus Severiana | |
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所在地 | 古代ローマ, 首都ローマ |
建設時期 | AD2世紀末~3世紀始頃 |
建設者 | 帝政ローマ |
関連項目 | ローマの古代遺跡一覧 |
ドムス・セプティミ・セウェリ(ラテン語: Domus Septimii Severi)は、イタリア ローマのパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にある帝政ローマ期の宮殿跡。ドムス・セウェリアナ(Domus Severiana)と表記されることもある。
概要
[編集]ドムス・セプティミ・セウェリはスタディオンの東に隣接し、先に建てられていたドムス・アウグスターナ等の宮殿の拡張として、ローマ帝国第20代皇帝セプティミウス・セウェルスにより、2世紀末から3世紀初めに掛けて[1]パラティヌスの丘の南東端部に建てられた。
丘陵斜面に宮殿を造営するため、ドムス・アウグスターナと地盤レベルをあわせる必要があり、ローマン・コンクリートで造られた人工地盤を構築した上に建てられていた。現在残っている建造物は、ほとんどがこの人工地盤面より下の部分である。この人工地盤の上に立つと、戦車競技場のキルクス・マクシムスやカラカラ浴場などを見渡すことができる。
スタディオンのエクセドラに隣接して宮殿内のローマ浴場施設(マクセンティウス浴場)があるが、これはドミティアヌス帝が建てたものを、後にマクセンティウス帝が改築したものである。このマクセンティウス浴場には、クラウディア水道から分岐した水道橋が直結されていて、チェリオの丘との間の谷(現在のVia di San Gregorio)を越える水道橋の遺構は現在でも見ることができる。
アッピア街道(現在のVia di San Gregorio)に面した側はセプティゾディウム(ラテン語: Septizodium)と呼ばれ、3階層の円柱で支えられた装飾壁となっていた。これは、アフリカ方面からアッピア街道を通りローマに到着する人々に対して、強い印象を与えようと考えられたものであると言われている。
ドムス・セプティミ・セウェリは、16世紀に(人工地盤の構造物を除いて)ほとんどすべてが取り壊されてしまったため、その姿はかつて描かれた絵画でしか偲ぶことができない。
関連項目
[編集]- パラティヌスの丘
参考文献
[編集]- ^ RomanoImpero Domus Severiana