ドメラ (オート=ロワール県)
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Domeyrat | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | オート=ロワール県 |
郡 (arrondissement) | ブリウド郡 |
小郡 (canton) | ポーラゲ小郡 |
INSEEコード | 43086 |
郵便番号 | 43230 |
市長(任期) |
クリスティアン・プーレ (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays de Paulhaguet |
人口動態 | |
人口 |
203人 (2012年) |
人口密度 | 21人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯45度15分00秒 東経3度30分09秒 / 北緯45.25度 東経3.5025度座標: 北緯45度15分00秒 東経3度30分09秒 / 北緯45.25度 東経3.5025度 |
標高 |
平均:?m 最低:472 m 最高:752m |
面積 | 9.57km2 |
ドメラ (Domeyrat)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、オート=ロワール県のコミューン。
歴史
[編集]コミューン名はガロ=ローマ時代の名称からきており、ラテン語では Armariacum、1250年にはAlmayrac、その後Dalmayracとなった。これはArmaliusまたはArmariusという人名に由来する[1]。
史跡
[編集]- ドメラ城 - 城について最初の記述は、1250年から1260年の間に作成された、アルフォンス・ド・ポワティエの家臣の目録上である。所有者はパパブフ家であったが、一族は1348年に突然死に絶えてしまう。当時、この地域で猛威を振るっていた黒死病が原因であるとみられる。城は異なる領主の間を転々とし、百年戦争の間は放棄されていた。1387年、オーヴェルニュのセネシャルであるポンス・ド・ランゲアックが城主となった。1421年に後を継いだポンスの息子が、城の第2の建設者とみなされている。ランゲアック家は1656年まで城を所有した。建物はその後所有者に維持してもらえなくなり、フランス革命後に解体されていった。最後の所有者からオート=ロワール県が購入、現在は歴史文化財に指定されている。
- 旧橋 - セヌイール川に15世紀に架けられた[2]。城への往来を可能にする4つのアーチを備えた橋である。アーチの最大開口部は3.3mである[3]。
- 鉄道橋 - セヌイール川に架かる。TERオーヴェルニュのセヴェンヌ線が通り、ル・ピュイ=アン=ヴレへつながる。
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旧橋
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鉄道橋
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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237 | 212 | 186 | 181 | 145 | 144 | 162 | 203 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]
脚注
[編集]- ^ Centre d’Études Foréziennes, Archéologie protohistorique et gallo-romaine en Haute-Loire, archéologie no 5, 1978, p. 40
- ^ Marcel Prade -Les ponts monuments historiques - pp.254 - Librairie ancienne Brissaud - Poitiers - 1988 - ISBN 2-902170-54-8
- ^ http://www.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00092663
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=11954
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr