ドラクレシュティ家

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ドラクレシュティ家
Dinastia Drăculeştilor
ワラキア公国
主家 バサラブ家
創設 1390年
家祖 ヴラド2世
最後の当主 ミハイ2世
滅亡 1601年
民族 ヴラフ人

ドラクレシュティ家(The House of Drăculești)は、ワラキア公国の公家の一つ。バサラブ朝の流れを組み、ミルチャ1世老公の息子にして、『吸血鬼ドラキュラ』に登場するドラキュラ伯爵のモデルとして知られるヴラド3世串刺し公の父、ヴラド2世悪魔公を始祖とする。家名はヴラド2世がハンガリー王国ドラゴン騎士団の一員であったことに由来する。ヴラド2世の伯父であるダン1世を始祖とする別の公家、ダネシュティ家と公位を巡って争った。

1601年ミハイ2世英語版勇敢公の死によって男系は断絶した。

主要な人物[編集]

  • ヴラド2世 (1436–1442年、1443–1447年)
  • ミルチャ2世 (1442年)
  • ヴラド3世 (1448年、1456–1462年、1476年)
  • ラドゥ3世 (1462–1473年、1474年)
  • ミハイ2世 (1593–1600年)