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ドルトムント - グローナウ線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドルトムント - グローナウ線
基本情報
ドイツの旗 ドイツ
所在地 ノルトライン=ヴェストファーレン州
起点 ドルトムント中央駅
終点 グローナウ駅
路線記号 2100
路線番号 412
開業 1874年
全通 1875年9月30日
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 96 km
軌間 1435 mm(標準軌
線路数 単線、複線
複線区間 ドルトムント - リューネン
電化区間 ドルトムント - リューネン
電化方式 15 kV 16.7 Hz(交流
架空電車線方式
最高速度 160 km/h
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR STR+l
H-D線D-S線、B-D線、K-H線
BHF BHF
0.0 ドルトムント中央駅
BS2l BS2r
ABZgr
K-H線
eKRZo exSTR+r
旧線
eABZg+l exSTRr
旧線
KRZu
ドルトムント貨物線
ABZg+l
オーバーエヴィング方面
HST
5.4 ドルトムントキルヒデルネ
BHF
8.1 ドルトムントデルネ
BHF
10.5 リューネンプロイセン
ABZgr
ハム貨物駅方面
KRZu
オーバーハウゼン - ハム線
ABZg+l
リューネン南駅方面
BS2+l BS2+r
BHF BHF
13.9 リューネン中央駅
BS2r
リューネン - ミュンスター線
ABZg+r
ボルク軍事施設連絡線
BHF
22.0 ボルク(ヴェストファーレン)
HST
24.6 ゼルムバイファング
HST
26.1 ゼルム 旧普通駅
BHF
32.4 リューディングハウスゼン
eABZgr
旧連絡線
TBHFo
44.6 デュルメン WE-H線
eABZg+r
旧連絡線
HST
55.3 レッテ(コースフェルト郡) 旧普通駅
eABZgr
D-Q線、旧ER-M線
BHF
61.0
61.1
コースフェルト(ヴェストファーレン)
eABZg+r
D-Q線、ER-M線
HST
68.2 ローゼンダール=ホルトヴィック
HST
72.9 レークデン 旧普通駅
eABZg+l
旧ボルケン - ブルクシュタインフルト線
BHF
80.6 アーハウス
ABZgr
旧ボルケン - ブルクシュタインフルト線
eABZgl
旧アーハウス - エンスヘデ線
BHF
91.9 エーペ(ヴェストファーレン)
ABZg+r
ミュンスター - エンスヘデ線
BHF
96.0 グローナウ
STR
ミュンスター - エンスヘデ線
  • 出典:ドイツ鉄道地図[1]

ドルトムント - グローナウ線ドイツ語: Bahnstrecke Dortmund–Gronau)はドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムントオランダ国境に隣接するグローナウを結ぶ鉄道路線である。かつてのドルトムント・グローナウ・エンスヘデ鉄道会社(Dortmund-Gronau-Enscheder Eisenbahn-Gesellschaft, DGE)が開通した、ルール地方東部からオランダのエンスヘデに至る鉄道はこの路線の原型に当たる。

歴史

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DEGは建設工事をドルトムント市の東部で開始して、起点のドルトムントDGE駅は現在にドルトムント旧東駅である。ケルン・ミンデン鉄道(Cöln-Mindener Eisenbahn-Gesellschaft, CME)の本線一部であるドルトムント - ハム区間と横切ることは必要であった。リューネン北駅に至る部分は1874年11月25日に開通されて、旅客営業は一週間後始まった。6か月後DGEの列車はデュルメン駅まで走行できて、デュルメンではヴァンネアイケル - ハンブルク線と十字型に交差することとなった。デュルメンDGE駅は当時にCME駅と離れて北西向けに設置された。DEG鉄道は1875年8月1日にコースフェルトまで[2]、同年9月30日にグローナウまで延長された[3]。一方、グローナウ - エンスヘデ間ではプロイセン王国オランダ王国間の協定により工事は実行され[4]、その区間は1875年10月15日に開通された。

1879年にライン鉄道会社(Rheinische Eisenbahn-Gesellschaft)はデュースブルク - クヴァーケンブリュッケ線を開通して、コースフェルト駅はX字形態の乗り換え駅となった。

1930年代に新しい水路はドルトムント・エムス運河の改修・直線化とために設計された。工事の過程で新しい鉄道橋はSt52鋼材のワーレントラス構造で建設されて、運河と鋭角で交差することとなった[5]。1946年にゼルムバイファング駅が設置されて、通称「非常制動駅(Bahnhof Notbremse)」と呼ばれる。その由来は炭鉱労働者が帰宅の時、バイファング丘で習慣的に非常ブレーキを扱ったことである。鉄道警察はブレーキ誤用行為を防止できなかったので、停車駅は結局正式に開業された[6]

2007年にリューネン - グローナウ間は地方交通線に格下げされた。

運行形態

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ICE42列車およびICE43列車はこの路線を経由してミュンスターへ向かうが、ドルトムント中央駅のみで停車する。地域輸送の場合、ドルトムント市内区間の運賃はライン=ルール運輸連合により管理されている[7]。リューネンプロイセン - グローナウ間はヴェストファーレン運賃連合(Westfalentarif)の運賃制適用区間である[8]

  • 普通列車(RB 50): ドルトムント - キルヒデルネ - デルネ - プロイセン - リューネン - ミュンスター。60分ごとに運行。
  • 普通列車(RB 51): ドルトムント - キルヒデルネ - デルネ - プロイセン - リューネン - ボルク - バイファング - ゼルム - リューディングハウスゼン - デュルメン - レッテ - コースフェルト - ローゼンダール=ホルトヴィック - レークデン - アーハウス - エーペ - グローナウ - エンスヘデ。60分ごとに運行[9]。使用車両は643形気動車

外部リンク

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注釈・出典

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  1. ^ (ドイツ語) Eisenbahnatlas Deutschland (9th ed.). Aachen: Schweers+Wall. (2014). ISBN 978-3-89494-145-1 
  2. ^ “Verein Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 62): p. 681. (1875年8月9日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb11305412?page=684,685 
  3. ^ “Verein Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 79): p. 855. (1875年10月8日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb11305412?page=850,851 
  4. ^ “Berliner Briefe” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 26): p. 226. (1875年4月5日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb11305412?page=246,247 
  5. ^ (ドイツ語) Die Bautechnik, 17. Jahrgang 1939, Heft 28, p. 404
  6. ^ Warum hat Selm drei Bahnhöfe?” (ドイツ語). Lensing Medien GmbH & Co. KG (2012年9月10日). 2014年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月22日閲覧。
  7. ^ Stadt-, Linien- und Netzpläne: Schnellverkehrsplan VRR” (ドイツ語). Verkehrsverbund Rhein-Ruhr AöR. 2024年10月22日閲覧。
  8. ^ Liniennetzplan Nahverkehr Westfalen-Lippe 2024” (ドイツ語). WestfalenTarif GmbH. 2024年10月22日閲覧。
  9. ^ Elektronisches Kursbuch: Streckennummer 412” (ドイツ語). Deutsche Bahn AG. 2024年10月22日閲覧。