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ドルニエ Do X

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Dornier Do X
Do X - ベルリンのミュッゲルジー湖 (Müggelsee) にて 1932年5月
概要
用途 旅客飛行艇
乗客 150名
初飛行 1929-10-29
運用開始
製造者 ドルニエ
寸法
全長 40m
全幅 48.05m
全高 6.4m
翼面積 450m2
重量
空虚 29,500kg
運用 52,000kg
最大離陸 56,000kg
動力
エンジン カーチス・コンカラー
出力 600HP ×12
性能(目安)
最大速度 215km/h
巡航速度 190km/h
航続距離 2800km
最大運用高度 3,200 m(実用 500m)
上昇率 1000m/14min
翼面荷重 /m2

ドルニエ(Dornier) Do Xドイツドルニエ社の製造した旅客輸送飛行艇旅客機)。飛行船による大西洋航路の旅客輸送に代わる、「空の豪華客船」として開発された当時世界最大の重航空機で、設計はツェッペリン飛行船も担当したクラウディウス・ドルニエ

3機が製造され、うち2機はイタリアからの発注であった。機内にはダイニングルーム、寝室、喫煙ラウンジ、バー、高級カーペットを敷きつめた中央サロン等を備えていた。

当初は、シーメンス社がライセンス生産した525馬力を発揮するブリストル ジュピター空冷星型9気筒エンジンを装備していたが、出力不足が判明したうえに、後列の冷却不良[注 1]が発生したために後に水冷V型12気筒610馬力のカーチス製コンカラー(英語版)に換装された。

12基のエンジンは2基一組で流線型ナセルに収められ、各エンジンは補助翼で結ばれていたため機関士は飛行中でもエンジン関係の作業を行うことができた。と言うよりは、冷却や点火のばらつきなどから、12基のエンジンの調子をそろえることが難しく、飛行中も付きっきりで調整を行う必要があった、というのが真相の様である。

エンジンの出力不足から500 m以上への上昇は困難で、低高度飛行を余儀なくされた。

乗員10名、正規の乗客150名、密航者9名、合わせて169名[注 2]を乗せてのデモフライトは評判を呼んだ。当時は難しかった大西洋横断飛行も行なったが、故障や不調続出で片道9ヶ月かかり、しかも到着先のニューヨークでは修理に7ヶ月を要するなど問題点が多く、イタリア以外の航空会社から注文を受けることは無かった。後にベルリンの航空輸送博物館に収蔵されたが、1945年空襲により破壊され、現存しない。

イタリアの発注した2機はSANA社(伊語版)が民間航路への投入を目指したもので、1機目が「ウンベルト・マダレーナ」、2機目が「アレッサンドロ・ギドーニ」と命名され、投入予定の航路も決まっていたが、実際には運行されず、イタリア空軍にて実験的な任務を与えられた。しかし実用性が低いと判断されたのか軍での任務も短期間のみであり、これが終了すると2機とも解体されたため、やはり現存しない。なお、イタリアの2機はエンジンが水冷V型12気筒570馬力のフィアットA.22R(伊語版英語版)に換えてあった[1]

北海道新千歳空港ターミナルビル一階に復元模型が展示されている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 前列は牽引式プロペラの直後にあり後流を直に受けられるので充分な冷却が可能なのに対し、後列はその陰に入るうえに推進式プロペラなので後流による冷却が不可能なために充分な風を受けられなかった。空冷星形エンジンを前後2列に搭載し、前列で牽引式プロペラ、後列で推進式プロペラを駆動する機体ではよくある問題であり、当機に限ったことではない。
  2. ^ 通常であれば密航者はその存在を認められないため数に入らないが、Do Xの乗せた169名は密航者も正式に数に入れてこの人数である。

出典

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  1. ^ 小学館 万有ガイド・シリーズ 航空機3 両大戦の間 監修木村秀政

外部リンク

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  • 詳細画像[1]