ドロプスク諸公会議
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ドロプスク(ドロブスク)諸公会議(ロシア語: Долобский съезд)とは、1103年にドロプスク[1][2](またはドロブスク[3])湖(ru)湖畔で行われたルーシ諸公による会議である[1]。キエフ大公スヴャトポルクとペレヤスラヴリ公ウラジーミル(ウラジーミル・モノマフ)が参加し、ポロヴェツ族への遠征について討議した。
ドロプスク諸公会議の様子は原初年代記に記されている。また、他の諸公会議とは異なり、公(クニャージならびにヴェリーキー・クニャージ)であるリューリク朝出身者以外が出席し、その発言が年代記に記されている。具体的には、春季の遠征に難色を示したヤロポルクの従士(ドルジーナ)たちへのウラジーミルの説得と、その論に同意の声を上げるウラジーミルの従士たちの挙動である[3]。会議においてウラジーミルはヤロポルクの賛同を得て[4]、ルーシ諸公の連合軍によるポロヴェツ族への遠征が決定した。同年4月、ルーシ諸公軍はステニ川の戦いでポロヴェツ族軍に勝利した。また、ウラジーミルにとっては、先のリューベチ諸公会議(1097年)とともに、ポロヴェツ族への共同戦線を諸公と共に形成することで、諸公間の権力闘争の鎮静化を図るものでもあった[5]。
なお、イパーチー年代記(原初年代記の写本の1つ)では1111年のサリニツァ川の戦いの事前会議として記されているが、1103年の開催を史実とみなすのが定説とされている[6]。ただし、1111年にも諸公会議が開催された可能性はD.リハチョフ(ru)によって示唆されている[6]。
出典
[編集]- ^ a b 田中1995.p97
- ^ 八重樫1972.p36
- ^ a b 中澤 2014, p. 243.
- ^ 田中1995.p98
- ^ 田中1995.p106
- ^ a b 中澤 2014, p. 244.
参考文献
[編集]- Долобский съезд // Докеры — Железняков. — М. : Советская энциклопедия, 1952. — С. 31. — (Большая советская энциклопедия : [в 51 т.] / гл. ред. Б. А. Введенский ; 1949—1958, т. 15).
- Летопись русская. К., 1989
- Грушевский М. С. История Украины-Руси, т. 2. К., 1992
- Толочко П. П. Киев. Русь. К 1996. С. В. Евтушенко.
- 田中陽兒ら編 『世界歴史大系 ロシア史1 - 9~17世紀-』// 山川出版社、1995年
- 中澤敦夫「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(1) : 『原初年代記』への追加記事(1110~1117年)」『富山大学人文学部紀要』第61巻、富山大学人文学部、2014年8月、233-268頁、CRID 1390853649736563968、doi:10.15099/00000292、hdl:10110/12937、ISSN 03865975。
- 八重樫喬任「キエフ国十一・二世紀における従士団」『西洋史学』第87巻、日本西洋史学会、1972年、23頁、doi:10.57271/shsww.87.0_23。