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ナイトノイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナイトノイズ
Nightnoise
出身地 アイルランドの旗 アイルランド
ジャンル アイリッシュ・トラディショナル、クラシックケルト音楽ジャズニューエイジ
活動期間 1984年 - 2003年
レーベル ウィンダム・ヒル
共同作業者 遊佐未森
旧メンバー
  • ミホール・オ・ドーナル
  • ビリー・オスケイ
  • トリーナ・ニ・ゴーナル
  • ブライアン・ダニング
  • ジョニー・カニンハム
  • ジョン・フィッツパトリック

ナイトノイズNightnoise)は、アイルランド人ミュージシャンのミホール・オ・ドーナルを中心に結成されたバンド。当初はアメリカを拠点に活動していたが、後にメンバーの生地であるアイルランドに移る。

来歴

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ドーナル・ラニー率いるボシー・バンドで活動していたミホール・オ・ドーナルは、アメリカのオレゴン州ポートランドに渡り、アメリカ人ヴァイオリニストのビリー・オスケイと共にナイトノイズを結成。ウィンダム・ヒル・レコードとの契約を得て、1984年にデビュー。その後、ブライアン・ダニングと、ミホールの妹トリーナ・ニ・ゴーナルが加入し、セカンド・アルバム『時は幻』(1987年)以降は4人編成のバンドとして活動。

アルバム『ひき汐』(1990年)を最後にビリー・オスケイが脱退し、後任としてスコットランド人のジョニー・カニンハムが加入。これにより、ナイトノイズはメンバー全員がケルト人となり、音楽的にもトラッド音楽からの影響を取り入れていった[1]。また、かねてよりナイトノイズのファンであった遊佐未森のミニ・アルバム『水色』(1994年)に、4人全員がゲスト参加。

1996年、ジョニーを除く3人がアイルランドに帰国。その後、ホワイト・ホース・スタジオでのセッションと、帰国直前のライブ音源を一部収録したアルバム『ホワイト・ホース・セッションズ』を発表。ヴァン・モリソンのカバー「ムーンダンス」も含む内容で、結果的には、同作がナイトノイズ最後のアルバムとなった。また、北アイルランド出身のジョン・フィッツパトリックが、ジョニーの後任として加入[2]。帰国後のバンドは、遊佐未森のアルバム『roka』(1997年)へのゲスト参加や、テレビ番組出演などの活動を行うが、アルバムはリリースされなかった。2003年、ナイトノイズは解散[2]。中心人物のミホール・オ・ドーナルは2006年に死去。

メンバー

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アイルランド人
アメリカ人、1990年脱退
アイルランド人
アイルランド人
  • ジョニー・カニンハム (Johnny Cunningham) - フィドル
スコットランド人、1990年加入・1996年脱退
  • ジョン・フィッツパトリック (John Fitzpatrick) - フィドル
北アイルランド人、1997年加入

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『ナイトノイズ』 - Nightnoise (1984年) ※ビリー・オスケイ&マイケル・オドネル(ミホール・オ・ドーナル)名義
  • 『時は幻』 - Something of Time (1987年)
  • 『世も果てて』 - At the End of the Evening (1988年)
  • 『ひき汐』 - The Parting Tide (1990年)
  • 『シャドウ・オブ・タイム』 - Shadow of Time (1993年)
  • 『記憶の岸辺』 - A Different Shore (1995年)
  • 『ホワイト・ホース・セッションズ』 - The White Horse Sessions (1997年)

コンピレーション・アルバム

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  • 『アクエリアス』 - A Windham Hill Retrospective (1992年)
  • 『アイランド・オブ・ホープ・アンド・ティアーズ~ネオ・ケルティック・アンサンブル』 - Island of Hope and Tears - Neo-Celtic Ensamble (1997年)
  • 『ナイトノイズ〜ベスト・コレクション』 - Pure Nightnoise (2006年)

脚注

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出典

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  1. ^ 『アイリッシュ&ケルティック・ミュージック』(山尾敦史・編、晶文社、1997年7月、ISBN 4-276-23807-2)p.48
  2. ^ a b NME.com

外部リンク

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