ナショナルステレオホール
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ナショナルステレオアワー → ナショナルステレオホール | |
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ジャンル | 音楽番組 |
放送期間 | 1959年2月16日 - 1961年4月3日[1] |
放送時間 | 月曜日 19:00 - 20:00[1] |
放送局 | 立体放送(ABCラジオ(左チャンネル)+MBSラジオ(右チャンネル)) |
制作 | ABCラジオ・MBSラジオ |
パーソナリティ | 上田博章[1][2]、清水芙美子[1] |
テーマ曲 | 「花火」ペレス・プラード楽団[2] |
提供 | 松下電器産業(のちのパナソニック) |
特記事項: 放送開始前の1959年1月24日の深夜に、技術試験の為のテスト放送を行っている[2]。 |
ナショナルステレオホールは、1959年2月16日から1961年4月3日まで、ABCラジオ(左チャンネル)とMBSラジオ(右チャンネル)の共同による中波(モノラル)2波を使ったステレオ(立体)放送による、ラジオ音楽番組である[1]。当初は「ナショナルステレオアワー」という番組名として放送、同年7月27日からこの番組名となった[1]。松下電器産業(のちのパナソニック)の一社提供。
概要
[編集]「音のシネラマ」という触れ込みで、ステレオ音源のクラシック音楽の左側チャンネルをABC、右側をMBSから放送し、2つの受信機を持つ聴取者がステレオで再生することを狙った試み(立体放送)である。
1958年末には既に、NHKではラジオ第1(左)と第2(右)にて、民放では関東地区にて文化放送(左)とニッポン放送(右)にて、モノラル2波を使ったステレオ放送を行っていた。
ABCとMBSも前述の動きを受け、同様の放送を開始するにあたり、先ず、当番組開始前の1959年1月24日に、技術試験の為のテスト放送が両局にて深夜に放送され[2]、同年2月16日から、両局初のモノラル2波によるステレオ・レギュラー番組『ナショナルステレオアワー』として放送が開始された[注釈 1][1][6][7][8]。
同年7月27日から『ナショナルステレオホール』に改題され、1961年4月3日に放送を終了した[1]。
出演者
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、89頁。
- ^ a b c d e 民放ステレオ事始め - ウェイバックマシン(2020年1月9日アーカイブ分)(上田博章公式サイト 2007年2月)
- ^ 朝日新聞 1959年2月6日 大阪版朝刊 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日新聞 1959年2月16日 大阪版朝刊 P.6 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日新聞 1959年2月23日 大阪版朝刊 P.6 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日放送株式会社 十周年記念誌編集委員会 編『ABC十年』朝日放送株式会社、1961年3月15日、194頁。NDLJP:2494225/198。
- ^ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、476頁。
- ^ 毎日放送 編『毎日放送十年史』毎日放送、1961年12月15日、155頁。NDLJP:2496354/193。
関連項目
[編集]- 立体音楽堂 - 日本放送協会(NHK)が1954年から1966年まで放送した同様の番組
- ラジオ#ステレオ放送