ナジョージュヌイ (砕氷艦)
ナジョージュヌイ クラースヌイ・オクチャーブリ カピターン・ダヴィードフ ダヴィードフ | ||
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1924年のヴランゲリ島探検の際に撮影された 氷上の砲艦クラースヌイ・オクチャーブリ | ||
艦歴 | ||
ナジョージュヌイ Надежный | ||
起工 | 1896年 ブルマイスター&ヴァイン造船所 | |
進水 | 1896年11月12日 | |
竣工 | 1897年5月27日 | |
所属 | ロシア帝国海軍太平洋艦隊 大日本帝国海軍(1918年6月20日 - ) | |
除籍 | 1921年1月 | |
修復 | 1922年10月 - (赤軍による) | |
クラースヌイ・オクチャーブリ Красный Октябрь | ||
編入 | 1924年2月27日 | |
所属 | 赤色海軍太平洋艦隊 | |
カピターン・ダヴィードフ Капитан Давыдов | ||
改称 | 1925年 | |
所属 | 赤色海軍太平洋艦隊 | |
ダヴィードフ Давыдов | ||
所属 | 赤色海軍太平洋艦隊 ソ連海軍太平洋艦隊 | |
退役 | 1956年 | |
除籍 | 1957年5月21日 | |
要目 | ||
艦種 | 港湾砕氷艦・砲艦 | |
艦型 | ナジョージュヌイ級 | |
排水量 | 1525 t | |
全長 | 54.9 m | |
全幅 | 12.9 m | |
喫水 | 3.9 m | |
機関 | 垂直2倍膨張式蒸気機関 | 1 基 |
出力 | 2920 hp | |
シリンダー缶 | 4 基 | |
スクリュー | 1 基 | |
電源 | ディーゼル発電機BTU-63 | 2 基 |
発電量 | 52900 kWt | |
速力 | 最大速度 | 13.5 kn |
公試速度 | 14.9 kn | |
航続距離 | 2040 nm/9 kn | |
乗員 | 士官 | 4 名 |
水兵 | 42 名 | |
武装 | 120 mm単装砲(1924年時) | 4 門 |
装甲 | なし | |
砕氷装備 | 幅183 m、厚さ25.4 mmの鋼板 |
ナジョージュヌイ(ロシア語:Надежныйナジョージュヌィイ)は、ロシア帝国の港湾砕氷艦(Портовый ледокол)である。艦名は「頼りになる」といった意味のロシア語の形容詞である。
概要
[編集]1896年、コペンハーゲンのブルマイスター・ウント・ヴァイン造船所で起工された。同年11月12日には進水、1897年5月27日には竣工した。艦はデンマーク人の指揮の下スエズ運河を経由してヴラジヴォストークへ回航され、太平洋艦隊に編入された。
1904年から行われた日露戦争では、ナジョージュヌイは非力ながら太平洋艦隊の1艦として活動した。
1917年にロシア革命が勃発すると、1918年春には港は放棄された。6月20日にはシベリア出兵の干渉軍によって捕獲され、1921年1月には干渉軍によって艦隊から除籍された。
1922年10月には、赤軍の手によって復旧された。1924年2月27日には「赤い十月」という意味のクラースヌイ・オクチャーブリ(Красный Октябрьクラースヌィイ・アクチャーブリ)と改称され、砲艦に種別を変更された。このときの武装は、日本製の120 mm砲4 門であった。
7月20日には、全ロシア中央執行委員会の革命名誉称号を受けた。同日から10月29日にかけて、ボリース・ダヴィードフの指揮下、クラースヌイ・オクチャーブリはヴランゲリ島に赤軍部隊を上陸させ、この地を占領した。
この偉業を讃え、1925年には艦名がカピターン・ダヴィードフ(Капитан Давыдовカピターン・ダヴィーダフ)に変更された。のち、艦はたんにダヴィードフ(Давыдов)と呼ばれるようになった。
1925年3月2日からダヴィードフは港湾警備に就いた。1926年には、種別が港湾砕氷艦に戻された。
大祖国戦争時には、武装の上、砕氷任務を伴う実戦活動に投入された。1943年9月10日から12月11日にかけては、カナダのバンクーバーにてオーバーホールを施工された。
1956年には実用から外され、保管状態に入れられた。1957年5月21日には海軍より除籍された。