ナタリア・ギンズブルグ
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(ナタリーア・ギンツブルグから転送)
ナタリア・ギンズブルグ Natalia Ginzburg | |
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誕生 |
1916年7月14日 イタリア、シチリア、パレルモ |
死没 |
1991年10月7日(75歳没) イタリア、ローマ |
職業 | 小説家、脚本家、女優 |
配偶者 | レオーネ・ギンズブルグ |
子供 | カルロ・ギンズブルグ |
ナタリア・ギンズブルグ(Natalia Ginzburg、1916年7月14日 – 1991年10月7日 )は、イタリア人小説家である。「ナタリーア・ギンツブルグ」と表記されることもある。
経歴
[編集]1916年、イタリアのシチリアパレルモ生まれ。17歳の時、短篇「不在」を文芸誌「ソラリア」に発表する。1942年、最初の長篇小説『町へゆく道』を刊行。
映画やドラマの脚本を担当すると同時に、1964年にイエス・キリストを描いた映画、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『奇跡の丘』にはベタニアのマリア役で出演した。
受賞歴
[編集]- 1952年 ヴェイロン賞 『わたしたちのすべての昨日』
- 1957年 ヴィアレッジョ賞 『ヴァレンティーノ』
- 1963年 ストレーガ賞 『ある家族の会話』
家族・親族
[編集]- 夫:レオーネ・ギンズブルグはウクライナ生まれの作家。
- 息子:カルロ・ギンズブルグは歴史家。
評価・日本での影響
[編集]- 随筆家の須賀敦子は「書くという私にとって息をするのとおなじくらい大切なことを、作品を通して教えてくれた、かけがえのない師」(『トリエステの坂道』)として、ナタリアに私淑していた。
日本語訳
[編集]- 『拝啓ミケーレ君』 千種堅訳、早川書房、1982年
- 『ある家族の会話』 須賀敦子訳、白水社、1985年/白水Uブックス、1997年
- 『マンゾーニ家の人々』 須賀敦子訳、白水社、1988年/白水Uブックス(上下)、2012年
- 『モンテ・フェルモの丘の家』 須賀敦子訳、筑摩書房、1991年/ちくま文庫、1998年/河出書房新社「世界文学全集」、2018年
- 『わたしたちのすべての昨日』 望月紀子訳、未知谷、2014年
- 『夜の声』 望月紀子訳、未知谷、2016年
- 「こんな風でした」「夜の声」「わたしの夫」を収録
- 『町へゆく道』 望月紀子訳、未知谷、2016年
- 「ヴァレンティーノ」「射手座」「町へゆく道」「母親」「不在」「海辺の家」を収録
- 『小さな徳』白崎容子訳、「須賀敦子の本棚3」河出書房新社、2018年。エッセイ集11篇
主な作品
[編集]小説
[編集]- La strada che va in città 『町へゆく道』1942年
- È stato così(The Dry Heart) 『こんな風でした』1947年
- Tutti i nostri ieri(A Light for Fools,All our yesterdays) 『わたしたちのすべての昨日』1952年
- Valentino 『ヴァレンティーノ』1957年
- Sagittario 『射手座』1957年
- Le voci della sera(Voices in the Evening) 『夜の声』1961年
- Le piccole virtù(The Little Virtues) 『小さな美徳』1962年
- Lessico famigliare(Family Sayings)『ある家族の会話』1963年
- Mai devi domandarmi(Never must you ask me) 1970年
- Caro Michele 1973年
- Vita immaginaria 1974年
- La famiglia Manzoni『マンゾーニ家の人々』1983年
- La città e la casa(The City and the House)『モンテ・フェルモの丘の家』1984年
ドラマ
[編集]- Ti ho sposato per allegria (1965)
- L'Inserzione(The Advertisement) (1969)
映画(脚本)
[編集]- 『ゆかいな結婚』 Ti ho sposato per allegria、1967年[1] - ルチアーノ・サルチェ監督・脚本。
- 『親愛なるミケーレ』 Caro Michele、1976年[1] - マリオ・モニチェリ監督、第26回ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞受賞。
- Las voces de la noche、英語: Voices in the Night、2003年[1] - スペイン映画。
脚注
[編集]- ^ a b c Natalia Ginzburg IMDb 2018年5月2日閲覧。