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ナット・アダレイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナット・アダレイ
Nat Adderley
基本情報
出生名 Nathaniel Adderley
生誕 1931年11月25日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州タンパ
死没 (2000-01-02) 2000年1月2日(68歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州レイクランド
ジャンル ジャズファンキー・ジャズビバップハードバップ
職業 バンドリーダーコンポーザー
担当楽器 コルネット
レーベル リバーサイド・レコード
アトランティック・レコード
共同作業者 キャノンボール・アダレイ
ジョニー・グリフィン

ナット・アダレイNat Adderley1931年11月25日 - 2000年1月2日)は、アメリカ合衆国ジャズコルネット奏者。本名Nathaniel Adderley。ファンキー・ジャズを代表する奏者の一人である。キャノンボール・アダレイ(ジュリアン・エドウィン・アダレイ)は実兄。

来歴

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ナット・アダレイは、アメリカ南部フロリダ州生まれ。1954年、ライオネル・ハンプトン楽団での活動を経て、1955年に兄キャノンボールとバンドを結成するが成功には至らなかった。[1]キャノンボールマイルス・デイヴィスのバンドに加入したのに伴い、ナットもJ・J・ジョンソンのバンド、ウディ・ハーマン楽団で活動する。1959年にキャノンボールが独立すると、再びキャノンボールのバンドに加入し、長きに渡って兄をサポートした。

また、ナット自身もバンド・リーダーとしてリバーサイド・レコードと契約。ウェス・モンゴメリーボビー・ティモンズサム・ジョーンズを従えて制作したアルバム『ワーク・ソング』(1960年)は、ナットの代表作として知られる[2]。とりわけ、自作曲であるタイトル曲は、ゴスペルの手法を取り入れた、ファンキー・ジャズの代表的楽曲の一つで、キャノンボールのバンドでも重要なレパートリーとなった。1960年にはキング・カーティス[3]のアルバム『ソウル・ミーティング』にも参加。

1963年7月には、キャノンボールのバンドのメンバーとして初来日した。

兄・キャノンボールとの兄弟仲の良さはミュージシャン仲間でも有名で、そのため1975年にキャノンボールが他界すると、ショックの大きさでナットも一時活動停止してしまった。しかし翌年には立ち直り、アダレイ・ブラザーフッドを結成した。その後もロン・カータージョニー・グリフィン等、様々なミュージシャンと共演している。

2000年、フロリダ州レイクランドの自宅で死去した。享年68。

ディスコグラフィ

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代表作 リーダー・アルバム

  • Work Song(1960年)
  • Autobiography(1964年)
  • Soul Zodiac(1972年)
  • A Little New York Midtown Music(1978年)
  • Mercy, Mercy, Mercy! '95(1995年)

キャノンボール・アダレイ名義

  • Nippon Soul(1963年)
  • Mercy! Mercy! Mercy!(1966年)
  • Country Preacher(1969年)

脚注

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  1. ^ Nat Adderley allmusic 2024年5月2日閲覧
  2. ^ 歌詞付きのオスカー・ブラウン・ジュニアのレコードも、有名である
  3. ^ 1971年のライブ盤で有名。しかし、暴漢に刺されて死亡してしまった

関連項目

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外部リンク

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書籍

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  • ジャズ批評編集部編 編『JAZZトランペット』松坂〈ジャズ批評ブックス〉、2001年。ISBN 491555709X