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ナンシー・チェニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ナンシー・チェニー1957年9月18日 - )は、日本の元モデル、元女優上智大学国際学部卒(1980年)[1]。本名、ナンシー・キヨノ・チェニー[2]

略歴

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父がアメリカ人、母が日本人アメリカカリフォルニア州出身。アメリカ・ユタ州出身[1]。日本での生活が長く、華道茶道も嗜んだ。

上智大学のミス・ソフィアコンテストで準優勝している。大学在学中の1977年頃に、滞在先のハワイで日本の芸能関係者にスカウトされ、モデル・タレントとして芸能活動を開始した[2]。『11PM』(日本テレビ/読売テレビ)のカバーガールを1978年9月で降板した樹れい子の後任として、同年10月からカバーガールを務める[3]。1980年秋からキャロライン洋子の後任として『びっくり日本新記録』の6代目女性司会者となる[1]。脚が長くスタイル抜群の容姿から週刊プレイボーイ平凡パンチなどの表紙やグラビアも多数飾る。

日本テレビ系列で放映された松田優作の主演ドラマ『探偵物語』(1979年)に本名と同じ「ナンシー」の役名でレギュラー出演。竹田かほりとのコンビでの松田との掛け合いが好評で、女優としても人気を獲得した。その後『ミラクルガール』(1980年)、『青春諸君!夏』(1980年)、『大捜査線シリーズ・追跡』(1980年)、『探偵同盟』(1981年)、『日本悪妻に乾杯!』(1981年)などの連続ドラマに立て続けにレギュラー出演したが、芸能活動は短期間で終えている。

アジア最大の財閥タイガーバームの3代目総裁・胡一虎の次男と結婚するが、のちに離婚。

現在は、英語などを教えながら、ビジネスの経験を生かしたセミナー等も行っている。

出演

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テレビドラマ

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映画

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バラエティ

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CM

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その他

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  • モデル活動初期には「ナンシー」「ナンシー・チェイニー」名義で活動している時期もあった。

脚注

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  1. ^ a b c サンデー毎日、1980年10月5日号、p147
  2. ^ a b c d 週刊テレビ番組 1978年11月3日号 p.32
  3. ^ 「テレビ・ラジオ 『11PM』をアワテさせた樹れい子、突然の"辞任" 体の不調を理由にしているが他局では大健在!」『週刊明星』1978年10月15日号、集英社、44頁。 

関連項目

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