ニコラエ・ティモフティ
ニコラエ・ティモフティ Nicolae Timofti | |
ニコラエ・ティモフティ(2013年7月)
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任期 | 2012年3月23日 – 2016年12月23日 |
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首相 | ヴラド・フィラト ユリエ・レアンカ キリル・ガブリッチ ナタリア・ゲルマン(代行) |
出生 | 1948年12月22日(75歳) ソビエト連邦 モルダビア・ソビエト社会主義共和国、チュトゥレシュティ |
政党 | 無所属 |
出身校 | モルドバ国立大学 |
配偶者 | マルガレータ・ティモフティ |
ニコラエ・ティモフティ(モルドバ語: Nicolae Timofti、1948年12月22日 - )は、モルドバの政治家、裁判官。2012年3月23日より2016年12月23日まで、モルドバの大統領を務めた。モルドバ最高裁判所長官であった同年3月16日に、国会から大統領に選出された[1]。ニコライ・チモフチとも表記される。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]モルダビア・ソビエト社会主義共和国チュトゥレシュティで、エレナ(1927年生まれ)とヴァシーレ・ティモフティの間に生まれる[2]。4人の兄弟がいた[要出典]。1949年の初めに、一家はフロレシュティに移住。その年の7月6日に父方の祖父トゥドール・ティモフティがソ連当局に粛清され、1953年にアムール州で死去した[3]。
ニコライは弁護士のマルガレータ・ティモフティと結婚し、アレクセイ(1977年生、ワシントンD.C.の世界銀行に法律家として勤める)、ニク(1980年生、キシナウでスポーツ・ジャーナリストとして活動)、シュテファン(1989年生、キシナウで経済学を学ぶ)の三人の息子をもうけた[4]。
モルドバ国立大学のロー・スクールを1972年に卒業後、裁判官となる1976年までの数年間をソビエト陸軍で過ごした。ミハイ・ギンプは「彼とは1990年代に改革を始めた時からの仲だ」と語っている[4]。2005年に高等裁判所に異動し、2011年に最高裁判所長官に就任した[4]。
大統領職
[編集]国会で選出された後、ティモフティは以前からのモルドバのヨーロッパ寄りの路線を踏襲するとし、この方針は「継承されねばならず」[5]、国の将来は「なによりもヨーロッパの将来である」と述べた[4]。ギンプ元大統領代行は、ティモフティを評して「モルドバ共和国に多くをもたらす、進取の気性に富んだ人」と呼んだ[4]。
脚注
[編集]- ^ Paul Ciocoiu (16 March 2012). “Cine e Nicolae Timofti, noul președinte al Republicii Moldova?” (Romanian). EVZ.ro. 16 March 2012閲覧。
- ^ “Criza din R. Moldova s-ar putea încheia vineri cu alegerea lui Nicolae Timofti la preşedinţie” (Romanian). Mediafax .ro (15 March 2012). 16 March 2012閲覧。
- ^ “NICOLAE TIMOFTI A FOST VOTAT PREȘEDINTE AL R. MOLDOVA – 16 MARTIE ZI ISTORICĂ”. Timpul.md (16 March 2012). 21 March 2012閲覧。
- ^ a b c d e By RFE/RL's Moldovan Service (17 March 2012). “Profile: Who Is Moldova's New President-Elect?”. Rferl.org. 21 March 2012閲覧。
- ^ Washington Post, Moldova elects pro-European judge Timofti as president, ending 3 years of political deadlock
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 マリアン・ルプ 代行 |
モルドバの大統領 2012年 - 2016年 |
次代 イゴル・ドドン |