ヌエボ橋 (ロンダ)
ヌエボ橋 | |
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ロンダ渓谷に架かるヌエボ橋。大きく分けて3つのアーチ構造も見られる。 | |
基本情報 | |
国 | スペイン |
所在地 | アンダルシア州マラガ県ロンダ |
交差物件 | グアダレビン川 |
設計者 | マルティン・デ・アルデウエラ |
竣工 | 1793年 |
構造諸元 | |
全長 | 66 m |
関連項目 | |
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ヌエボ橋(スペイン語: Puente Nuevo)は、スペイン・アンダルシア州マラガ県ロンダの旧市街と新市街とを結ぶ橋梁。名称は「新しい橋」という意味であり、この橋とは別に、旧市街と新市街との間にはビエホ橋(スペイン語: Puente Viejo、「古い橋」)が存在する。ロンダの町の旧市街と新市街はグアダレビン川で隔てられており、その上に架けられているヌエボ橋は、ロンダの町を象徴する存在ともなっている。
構造
[編集]ヌエボ橋は、グアダレビン川が侵食したことによって形成したロンダ峡谷の上に架けられた石橋である。この橋は、だいたい南北の方向を向いており、峡谷の北にある新市街と、峡谷の南にある旧市街とをつないでいる。2本の橋脚との間にはアーチ構造が見られる。ただし、これは2018年現在にも残っている2代目のヌエボ橋の構造であり、初代のヌエボ橋の構造は異なっていた。この2代目のヌエボ橋の規模は、2018年現在のロンダにおいては最大であり、高さは98メートル (m)、長さは66 mである。この橋の内部には部屋が設けられており、入ることも可能である。
歴史
[編集]建設
[編集]この場所には、1735年に1つのアーチだけで峡谷を越える構造だった初代のヌエボ橋が建造された。しかし、急造であった初代ヌエボ橋は、恐らく支持力の不足が原因で不健全な状態であったと考えられており、1741年に崩落事故を起こして50人が死亡した[1]。このような事故があったのにもかかわらず、1751年までには、同じ場所に2代目のヌエボ橋を建設することが決定された[2]。2018年現在に残っている2代目のヌエボ橋は、1759年に実際の建設が開始され、34年後の1793年に完成した[3][4]。なお、この橋はスペインで名高い建築家であるマルティン・デ・アルデウエラによる作品とされるものの、実際の建設には他にも多数の職人達が関わっている。
完成後
[編集]2代目のヌエボ橋の内部には幾つか部屋が存在し、それらは様々な目的で用いられてきた。1936年から1939年にかけて勃発したスペイン内戦の時には、敵を幽閉するための牢獄として使用されたと伝えられている部屋も存在する。幽閉された者の中には、窓から谷底に突き落とされて殺された者もいたという[5]。この牢獄として使用されたとされる場所は、2018年現在においてヌエボ橋の建築と歴史について解説する場所として活用されている。
写真集
[編集]出典
[編集]- ^ “El Puente Nuevo, todo es vértigo sobre el Tajo de Ronda - 20minutos.es”. 20minutos.es - Últimas Noticias. 2017年2月12日閲覧。
- ^ “¿Cómo nació el Puente Nuevo de Ronda?”. diariosur.es. 2017年2月12日閲覧。
- ^ “History of the Puente Nuevo”. Ronda Today. Ronda Today. 2017年3月7日閲覧。
- ^ “Ronda - Puente Nuevo sobre El Tajo”. turismoderonda.es. 2017年2月12日閲覧。
- ^ Thomas (1961). p.176
参考文献
[編集]座標: 北緯36度44分26.69秒 西経5度9分57.25秒 / 北緯36.7407472度 西経5.1659028度