ネブラスカ (戦艦)
艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1902年7月4日 |
進水: | 1904年10月7日 |
就役: | 1907年7月1日 |
退役: | 1920年7月2日 |
その後: | スクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 16,094 トン |
全長: | 441 ft 3 in |
全幅: | 76 ft 2 in |
吃水: | 25 ft 10 in |
機関: | |
最大速: | 19ノット |
航続距離: | |
兵員: | 士官、兵員1,108名 |
兵装: | 12インチ砲4門 8インチ砲8門 6インチ砲12門 1ポンド砲24門 30口径機銃4門 21インチ魚雷発射管4門 |
ネブラスカ(USS Nebraska, BB-14)は、アメリカ海軍の戦艦。バージニア級戦艦の2番艦。艦名はネブラスカ州に因む。元の艦名はペンシルベニアであった。
艦歴
[編集]1902年7月4日にワシントン州シアトルのモラン・ブラザース社で起工し、1904年10月7日にマリー・N・ミッキー(ネブラスカ州知事ジョン・H・ミッキーの娘)によって命名、進水、1907年7月1日に初代艦長レジナルド・F・ニコルソン大佐の指揮下で就役した。
ネブラスカは1908年5月6日にサンフランシスコでアラバマと交代でグレート・ホワイト・フリートに加わった。7月7日にサンフランシスコを出港した艦隊はホノルル、オークランド、シドニー、メルボルン、マニラ、横浜、コロンボを訪れ、1909年1月3日にスエズに着いた。9日にメッシーナを艦隊は出港し、ナポリ、ジブラルタルを訪れ、2月22日にハンプトンローズに着いた。
ネブラスカは1909年のハドソン・フルトン祭(Hudson-Fulton Celebration)、1912年のルイジアナ百年祭(Louisiana Centennial)に参加した。
1917年4月6日にアメリカは第一次世界大戦に参戦したが、この時ネブラスカは修理中であった。4月13日にボストンを出港してネブラスカは大西洋艦隊とのチェサピーク湾地域での演習に向かった。その後は東海岸で単独で行動し、1918年4月15日に修理のためノーフォーク海軍工廠に入った。
1917年5月16日、ネブラスカはウルグアイの特命全権公使、Carlos M. DePenaの遺体を載せてハンプトンローズを出港、6月10日に太平洋艦隊の旗艦ピッツバーグと共にモンテビデオに到着し、遺体を引き渡した。ネブラスカは6月15日にモンテビデオを出港して7月26日にハンプトンローズに戻った。
1917年9月17日、ネブラスカは18隻の商船からなる船団の護衛としてニューヨークを出港した。10月3日にハンプトンローズに戻った後ネブラスカはさらに2度船団護衛を行った。
ネブラスカは1918年12月30日から1919年6月21日までに4度アメリカとフランス、ブレストの間の航海をおこない、4,540名の兵士を運んだ。その後は西海岸で行動し、1920年7月2日に退役した。ネブラスカはワシントン海軍軍縮条約によって廃艦となり、スクラップとして売却された。