ネラック
Nérac | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ロット=エ=ガロンヌ県 |
郡 (arrondissement) | ネラック郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 47195 |
郵便番号 | 47600 |
市長(任期) |
ニコラ・ラコンブ (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Val d'Albret |
人口動態 | |
人口 |
6 885人 (2006年) |
人口密度 | 110人/km2 |
住民の呼称 | Néracais, Néracaises |
地理 | |
座標 | 北緯44度08分53秒 東経0度20分42秒 / 北緯44.147971度 東経0.345039度座標: 北緯44度08分53秒 東経0度20分42秒 / 北緯44.147971度 東経0.345039度 |
標高 |
平均:m 最低:38 m 最高:191 m |
面積 | 62.68km2 (6 268ha) |
公式サイト | site officiel |
ネラック (Nérac、ガスコーニュ語:Nerac)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ロット=エ=ガロンヌ県のコミューン。
地理
[編集]コミューン内をベーズ川が横切り、コミューンの西側をジェリーズ川が境界となって流れる。およそ10マイル北で、2つの河川はガロンヌ川と合流する。
歴史
[編集]ネラックの語源は定かでない。一つの説として、ネラックとはガロ=ローマ時代の人名Neriusに接尾辞の-acumが付けられ派生したのではないかというものがある。
1832年、ガレンヌ地区でガロ=ローマ時代のヴィッラ遺跡が発掘された。
ネラックがまちとして繁栄の頂点に達したのは、アルブレ家が領主となった16世紀である。ランド地方のラブリから11世紀に移ってきたアルブレ家は、1484年にジャン3世(フアン3世)がナバラ女王カタリナ1世と結婚してナバラ王となった。2人の長男エンリケ2世は1527年にマルグリット・ダングレームと結婚した。2人の間に生まれたジャンヌ・ダルブレはブルボン家のアントワーヌの妻となり、のちにユグノーに改宗している。
1530年代から、領主ジャンヌ・ダルブレの影響を受けたネラック住民は新教徒となり、第一次ユグノー戦争に身を投じた[1]。
シャルル9世は1564年から1566年まで宮廷をつれてフランス国内を行幸した際、弟アンジュー公アンリ(アンリ3世)、アンリ・ド・ナヴァール(アンリ4世)、ブルボン枢機卿とともにネラックを訪れている[2]。
1572年、ユグノーのジャンヌ・ダルブレ、そしてカトリックのカトリーヌ・ド・メディシスは、アンリ・ド・ナヴァールとマルグリット・ド・ヴァロワを結婚させようと計画した。結婚式直前にジャンヌは急死したため、血塗られた結婚式に出席することはなかった。
ルイ13世時代にネラックは反乱を起こし、1621年にマイエンヌ公アンリに鎮圧され、その要塞は取り壊された。
18世紀のネラックは、サン・ドマング向けコムギ輸出で繁栄の時代を迎えた。
1920年代から、大きなイタリア人コミュニティーがネラックに移った。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 |
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6 417 | 7 061 | 7 156 | 6 828 | 7 015 | 6 787 | 6 885 |
source=INSEE[3]
出身者
[編集]姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ Guerres de religion-Miquel, p 245
- ^ Guerres de religion-Miquel, p 258
- ^ Le Mas-d'Agenais sur le site de l'Insee