ネリー・A・ブラウン
ネリー・A.ブラウン | |
---|---|
生誕 | 1876年 |
死没 | 1956年(79 - 80歳没) |
研究分野 |
植物学 植物病理学 |
研究機関 | アメリカ合衆国農務省 |
出身校 | ミシガン大学 |
命名者名略表記 (植物学) | N.A.Br.[1] |
プロジェクト:人物伝 |
ネリー・A・ブラウン (Nellie Adalesa Brown、1876年 - 1956年) は、アメリカ合衆国の植物学者、政府の研究者である。その研究の多くが植物病理学に焦点を当てたものであった。チャールズ・オーリン・タウンゼント (Charles Orrin Townsend、1863年-1937年)[2] と共にアーウィン・フリンク・スミス (Erwin Frink Smith、1854年-1927年、アメリカ合衆国農務省の植物病理学者) のアシスタントとして働いていた1907年に、チャールズとの共著で「クラウンゴール」(crown gall、植物に発生する虫こぶ様の腫瘍) を引き起こすアグロバクテリウム (Agrobacterium) に関する論文を発表した[3]。
生涯
[編集]ブラウンは植物学を学んだミシガン大学を1901年に卒業した[4]。カリフォルニア大学の大学院で研究をしているときに、トーリー・ボータニカル・クラブ (Torrey Botanical Club、1860年代にジョン・トーリーにより創設されたアメリカ合衆国最古の植物学学会) (英語版) のメンバーとなった。ミシガン州とフロリダ州の高等学校で5年間科学を教えた後、1906年から1910年まで、アメリカ合衆国農務省植物産業局の植物病理学研究者となった[5]。
ブラウンは1910年から1925年まで植物病理学者アシスタントになり、アーウィン・フリンク・スミスが1911年とその翌年に著した植物のクラウンゴールに関する主要な2報の論文で第2著者となった。1915年から1918年まで、レタスの細菌性疾患に関する研究を行い、ついに彼女自身の名前で研究成果を出版した。1924年、リンゴの幹の腫瘍について研究し、クラウンゴールとの差異を明らかにした[6]。
ブラウンは20代半ばで植物病理学者アソシエイトとなり、1941年に引退するまでその職にあった[6]。
脚注
[編集]- ^ IPNI
- ^ "Charles Orrin Townsend, '88, M.S. '91". The Michigan Alumnus 44: 40. 2 October 1937.2015年12月28日閲覧
- ^ Smith, E. F.; Townsend, C. O. (1907). "A Plant-Tumor of Bacterial Origin". Science 25 (643): 671–673. doi:10.1126/science.25.643.671. PMID 17746161 2015年12月28日閲覧
- ^ Staff report (June 1914). News from the Classes. Michigan Alumnus
- ^ Staff report (Mar 11, 1917). Varied Activities of Women. Chicago Tribune
- ^ a b Ogilvie, Marilyn Bailey; Harvey, Joy Dorothy, eds. (2000). The Biographical Dictionary of Women in Science: Pioneering Lives from Ancient times to the Mid-20th Century. New York: Routledge. ISBN 0-415-92038-8.
外部リンク
[編集]- Nellie A. Brown (1876-1956) スミソニアン博物館アーカイブ2015年12月28日閲覧