ノエル・ドーヴィル
ノエル・ドーヴィル | |
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Noël Dorville | |
生誕 |
1874年5月12日 メルキュレ |
死没 |
1938年10月6日(64歳没) コーヌ=クール=シュル=ロワール |
国籍 | フランス |
教育 | ポール・ルヌアールの画塾 |
著名な実績 | 絵画 |
ノエル・ドーヴィル(Noël Dorville、1874年5月12日 - 1938年10月6日)は、メルキュレに生まれ、コーヌ=クール=シュル=ロワールで死去したフランスの画家、風刺画家、ポスター画家。
ドーヴィルは、同時代の政治家や作家たちの肖像を数多く手がけた[1]。アルフレド・ドレフュスの1899年の裁判の際にも、法廷でスケッチをした[2]。
ドーヴィルは、ポール・ルヌアール(1845年-1924年)の画塾に学んだ。白黒での描画に注いだ情熱と、鋭い筆致の嗜好が、彼の才能を形づくっていた。師弟2人は、1905年のリエージュ万国博覧会の際に、協力してアルバムを制作した[3]。
ドーヴィルのスタイルは、あくまでも善意の範囲に留まりながら、少々生意気なユーモアを感じさせるものが多かった[4]。
ドーヴィルは、週刊の絵入り諷刺雑誌『ラシエット・オ・ブール』の常連寄稿者だった。
息子のジャン・ドーヴィルは画家で、リトグラフや舞台美術も手がけ、孫のジェラール・ドーヴィル (Gérard Dorville) は漫画雑誌『ヴァイヤン (Vaillant)』や『ルコール (Record)』のイラストレーター、漫画家となった。さらに、ひ孫のジェローム・ドーヴィルはジャーナリストである。
第一次世界大戦が始まると、ドーヴィルは陸軍の予備部隊に召集された。1915年には、パリの地下壕で陸軍大臣付き将軍 (l’Intendant général) の書記官に任じられた。その後は、地形図作成部隊に配属された[5]。
ノエル・ドーヴィルの文書類はボーヌの公文書館に、作品はボーヌ美術館に残されている。
回顧展
[編集]「Noël Dorville, Artiste en République(ノエル・ドーヴィル、共和国の芸術家)」と題された回顧展が、2015年3月25日から11月29日までボーヌ美術館で開催された。
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「Société "La Française"」の広告ポスター。ノエル・ドーヴィル画、1902年。
脚注
[編集]- ^ Le Monde Politique, recueil de 40 planches de portraits dessinés de Sénateurs, Députés et journalistes en 4 fascicules reliés, éditions J. Thil, 1902-1903.
- ^ “Yesterday’s drawings for today? - In the past - Courtroom sketches - Traits de justice”. Traits de Justice. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “Musée des Beaux-Arts de Beaune: Noël Dorville Danseuse cambodgienne vue de dos 1906”. Mairie de Beaune. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “Noël Dorville, L’Assiette au beurre « La Cage », juin 1902”. Mairie de Beaune. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “Noël Dorville, L’Assassinat d’Edith Cavell”. Mairie de Beaune. 2019年4月7日閲覧。
関連文献
[編集]- Le Monde Politique, recueil de 40 planches de portraits dessinés de Sénateurs, Députés et journalistes en 4 fascicules reliés, éditions J. Thil, 1902-1903.
- Laure Ménétrier et autres, Noël Dorville / Artiste en République, Beaune, Musée des Beaux-Arts, 2015.
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、ノエル・ドーヴィルに関するカテゴリがあります。
- La Tribune de l'Art - ジャック・フーカー (Jacques Foucart) による回顧展のレビュー