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ノート:めちんちん

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概要・健全な呼称と性教育を削除する提案

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『性教育を低学年の内から実施し、正しい性に関する理解を深めて、興味本位で性の乱用を行わないようにさせる目的で作られた、比較的新しい造語である。』等の記述が多い様ですが、そもそも出自が不明な訳ですから記述の信頼性に疑問があります。また、性教育そのものの記述が多い様ですが、これは性教育に記載すべき内容かと思います。以上の理由により、『概要』のうち『この呼称を“発明”したのは、埼玉県教育委員会であるという説があるが詳細は不明。』という記載を除く全て、及び『健全な呼称と性教育』の全てを削除する旨を提案します。

この呼称が性教育に絡んで提唱された経緯も在って、敢えてその絡みを記述しました。記事同士が重複し合う冗長性が含まれるかも知れませんが、一記事による完結性という点で、無理に切り分けてしまうと、猥雑な語との区別が付け難くなる・単なる同義語扱いされかねない…と云う点で、(偏に小生の調査不足能力から)不明確ながら記述した次第です。特に出自に関しては、小生自身がテレビ報道(1990年代に放送)等で取り上げられていた物を見た…というレベルでしかなく、明確なソースを提示できないため斯様な(参考程度にしかしないで欲しい的な)記述としました。
その一方で「性(身体機能の一部)の健全性を目指して提唱された語であるために猥褻語と混同してくれるな」という主張を含んで、中立性が減じている部分はあるかとは思いますが、元々はおちんちんリダイレクトとして作成した所、「めちんちん=ペニスバンドだ」等とするイタズラが見られたため、そのような行為を防止する意図もあって記事化した次第です。
なお同項目中にある女性の性意識に関する記述は、集英社「モア・リポート」(1983年1月25日発行・2001年には関連書の「モアリポートの20年(著・小形桜子)」ISBN 4-08-720075-2 が発行されています)を中心に広範囲のコラム・手記等に拠っています。モア・リポートでは特に、健全な呼称が無い事から、女性の性意識が鬱屈していた事すら読み取れる記述もあり、少なくとも隠れた社会問題であると考えています。件の記述も、男性による下半身の劣情にて猥褻に語られる事を殊更危惧する事もあっての冗長性とご理解戴ければさいわいです。夜飛 2005年5月27日 (金) 08:51 (UTC)[返信]

御回答有難う御座います。最初に、前回署名を忘れたことをお詫び致します。
呼称について。
まずお尋ねしたいのですが、テレビ報道の内容とはどの様なものだったのでしょうか? 出自が明確でないことを注記した上で『埼玉県教育委員会であるという説がある』という記述をする程度であれば許容されるとは思いますが、単語が作成された動機、『女性生殖器の適切な呼称が無かったため、この語が発明された次第である。』等の記述をすることは根拠が無く、同意出来ません。端的に言いますと、本来ペニスバンドの意として使用されてきた『めちんちん』という単語が転じて性教育で使われる様になった、という仮定すら否定する根拠がありません(めちんちん=ペニスバンド説を私が支持している訳ではありませんが)。また、『めちんちん』を健全な呼称であると記載がされていることも中立性に欠けると思われます。『めちんちん』という単語そのものが周知しているとも思われず、これを『猥褻な表現ではない』として決定的に扱うのは時期早々ではないでしょうか? 私自身、性教育の関連項目で初めてこの単語を知りました。
性教育について。
性教育の推進については賛否両論があります。過激な性教育そのものが性的虐待であると指摘する声もある様ですし、『小学生に性交を教え、興味に駆られた小学生が性交ごっこで妊娠した』と非難する団体もあります。ピルでは性病を防げませんし、コンドームでHIV感染は防げないとの指摘もあります。これらの議論を『おちんちんめちんちん性教育』の各項目で行なうのは煩雑であり、性教育で行なうのが順当では無いでしょうか?
Famsis 2005年5月28日 (土) 03:18 (UTC)[返信]

件の放送内容ですが、だいぶ前…という事で、教育委員会が提唱したという事までは憶えているのですが、それが何処の都道府県(神奈川だったか埼玉だったか)に属していたのかがはっきりしません。ただネット上で流布されている風説では埼玉県説が見られたため、これに拠りました。
ペニスバンド説は噴飯もので、同語提唱に絡む関係者のコメントとして、「珍々(ちんちん)」が「興味を引く(珍しくも)珍重すべきもの」=「無闇に弄り回したり、粗末に扱ってはいけない大切な物」という位置付けの上で、男のそれが「おとこ(男=雄)ちんちん」、女のそれが「おんな(女=雌)ちんちん」であるとする(ややこじ付けめいた)説明が成されていました。関係者もさぞかし苦労したのでしょうね。
性教育のために提唱されたというのも、元々が同番組が児童性教育を取り上げた(児童らが真面目な顔で「ペニス」や「ヴァギナ」と図表を見て回答するシーンあり)物の中で、ラテン語のヴァギナが余りにも発音し辛い様子を報じた上で、教育委員会側が代替語として同語を提唱したとの放送内容に拠っています。特に猥褻な意味を全く含まないよう苦慮したそうで。
なお「早期の児童性教育=児童らによる興味本位の性乱用を招く」説に関しては、まだ歴史が浅い事も在って方法が確立されて居ない以上、賛否分かれたり、内容に疑問を挟む余地が残るところでしょうが、ここで論じるよりも、児童性教育等の項を起こした方がいいかもしれません。ただ個人的には、児童性教育は「生殖器は将来、子供を作るために大事な器官なので、大切に保護しなければ成らない」や「女性には生理という体の変化があり(云々)」といった、体の違いを理解することや、生殖行為は興味本位で行ってはいけないとする内容であるため、好奇心を煽って性の乱用を招くという説には些か懐疑的ですが。(性乱用の低年齢化は、単に「セックス=惚れた腫れたの一環」として、猥雑なメディア上で扱われる事の弊害だと考えています)
特に適切な呼称が無い事・一般化された呼称が余りに猥褻、かつ男性の興味本位における性的欲求に基くイメージが付きまとう点は、前出のモアリポート中でも繰り返し述べられており、また同現象を語る上では日本社会における性意識という土壌を説明しないと、何故一々健全な語を発明しなければならなかったのかを述べる上で不十分であると思われました。このための冗長性です。(小生の悪癖として、説明が不足して不明確とするよりも冗長をもって説明する事を良しとする傾向が在るのは否定しませんが)
Famsisさんの挙げられた性教育の問題点を性教育の項で、コンドームの問題点はコンドームの項で述べるのは順当でしょう。おちんちんの項では、どちらかというとトイレットトレーニングで利用される幼児語という扱いをしています。しかし本項では、早期性教育に絡んで同語が「発明」された事、更には早期性教育の妥当性を説明し、また他の語が何故使用できないか・またそれを「臭い物に蓋」的に素通りしてしまう事が出来なかったかを説明する必要から、本項に件の記述が欠かせない(一般には同問題があまり認識されて居ないケースが見られる)と考えています。夜飛 2005年5月28日 (土) 05:14 (UTC)[返信]

御回答が大変遅れてしまい、申し訳ありません。『Famsisさんの挙げられた性教育の問題点を性教育の項で、コンドームの問題点はコンドームの項で述べるのは順当でしょう。』との御見解、有難う御座います。
『めちんちん』の単語の成立について、『1990年代のテレビ報道のウロ覚え(失礼)』を元に記事にしたものとしては詳細過ぎますし、これを読んだ方は『確定した説』であると捉えてしまう可能性があります。明確な根拠が判明するまでは、記述を簡潔にした上で『仮説』である旨を明示する必要があるかと思います。
『猥褻』に関することについて、生物学的・医学的には全ての器官に尊卑は無く、何れも大切なものです。しかし人間社会に於いては、慣習的にも法的にも性器は猥褻なものとして扱われており、例えば通勤電車の中で性器を晒せば逮捕されることになります。『猥褻』の定義とその運用にあたっては諸議論あるところであり、『女性は女性生殖器が猥褻かつ反社会的なものであるという考え方を刷り込まれた』等の表現は、『女性(男性)生殖器が猥褻なものではない』と定義付けていると捉えられかねず、些か中立性に欠ける記述であると思慮します。
以下は小生の仮説です、不愉快であれば以後持ち出しませんが、御照覧頂ければ幸いです。
小生は1980年代中盤に義務教育を修めましたが、当時は勿論『めちんちん』なる単語はありませんでした。しかし生殖器に関する教育は行なわれていたのであり(当時は保健体育と申しました)、『めちんちん』という単語が無くても生理現象についての教育は可能なのです。当時は男女別室にて保健体育の授業を受けていたので、男子生徒が過剰に興味を抱く単語で女性器が表現されたとしても、女子生徒が冷やかされることもありませんでした。然るに、『めちんちん』が性教育にて使われようとしている背景には、『性教育を男女同室で行う』という目的があるのではないか、と私は危惧しております。それが国民総意であれば良いのですが、性教育の実態は行政府の長をして『初めて見たが、ちょっとひどい。問題だ。こんな教育は私は子どものころ受けたことはない』と表現させる様なものであり、小生としては『行政府や保護者の知らぬ所で過剰かつ不必要な性教育が推し進められている』との疑いを拭い切れないのです。
Famsis 2005年6月9日 (木) 15:27 (UTC)[返信]

ソースを提示してのご意見、ありがとうございます。参考に成ります…ただ「どう酷い」のかが気に成る所では在りますが(下世話な好奇心が含まれる事は敢えて否定しませんが)。また山谷えり子自民党議員の「自然に憶えた」という氏自身の体験談が、酷く主観的で公平性に欠け、また乱暴極まりない意見に思えました。
男である小生が、男女の股に在るモノに関心を覚えた頃には、それら情報を扱っていたのが、それこそ健康な一男子が抱く旺盛な関心には全く足りないと感じさせる等閑な保健体育の授業以外に、そこらで拾ってきたような猥雑な雑誌しかなく、そんな情報に益々混乱させられた憶えもあります。結局、学校の図書館にあった医学関連の書籍にあった断面図や記述で「自主的に性教育」したけど、それとて下世話な好奇心の延長に過ぎなかったし…今思えば、猥雑な雑誌の中には、童貞が妄想で描いているとしか思えない内容も多かった
小生、思う所あって呼称の有無が人の事象・存在に対する認知(または知覚)に及ぼす影響という現象に対する興味の辺りで、本語のありようを気に掛けるに至りました。呼び名の無い(若しくは非常に呼び難い)概念や事象・存在が、思考する上で意識に上らせ難い、ましてネガティブなイメージの語で思考すると、そのイメージに含まれる他の概念との混同が見られる(一種の思考実験みたいなものですが)部分で、先に挙げたモアリポートにおける「女性生殖器が(中略)反社会的なものであるという意識」という女性雑誌読者等による報告に、強く共感を覚える所もありまして。
おちんちんに関しては、これが「大人の毛の生えちゃったの(下品失礼)」を電車の中で見せびらかせたら「ちょっと駅事務所まで一緒に来てもらおうか」になりますが、幼児がいきなり「かゆいー」ってズボンを脱いでボリボリ引っ掻いてても、「こらこら(しょうがないな、もう)」で済んでしまい、猥褻だとかという意識も持たれ難い。ある意味、猥褻は客観的に見る側の意識の中にのみ存在するかどうかで論じられる訳で、それをヘンに意識して幼児の股で「おちんちん」は単なる排泄器で、「めちんちん」が猥褻だというのは、「めちんちん」に変なイメージを持ち過ぎなのではないか?とも思う次第であります。
子供はいませんが、数多い甥っ子・姪っ子のおしめを手伝った経験から言えば、一々変な感情を滾らせる方が不健康な気がします
なお「元々猥褻ではない語」という辺りに関しては、若干のうろ覚え(というか細部の記憶漏れを含む状態)とは言え、「某地方都市の教育委員会において策定された」事に関しては、記憶にある報道内容の流れから見て確定と考えています。「詳細は不明」としたことに関しては、出自が不明なのではなく、明確な現行ソースが示せない事や、何処の教育委員会が提唱したのかが不明という意味で、判り難くて申し訳ありません。
語としての「めちんちん」はむしろ、生殖器以前に「単なる体の呼称の一部(尻や臍みたいな)」という位置付けであり、それをつい成熟した女性の体の部位(というか成熟した生殖器其の物)で発想するから猥褻だというだけで、「おちんちん」が成熟前の「小さい出っ張り」に過ぎないがために猥褻とは見なされない部分と同じ扱いをすべき(呼称の策定経緯からして、そうでなければおかしい)だと考えています。
ただ、件の説明文が冗長過ぎるために主題である「児童性教育(というより保健授業の)という用途に求めて、児童の身体部位を説明すべく発明された」が判り難い部分は大きいかも知れません。件の部分をゴッソリ省いてしまうと、また「ペニスバンド説」などの噴飯なイタズラを危惧せざるを得ませんが、大幅な減量は可能かもしれません。(多分、Famsisさんが問題提起してくれなかったら、そのまんまだったかと…)
なお本題から逸れますが、近年頻発する幼児・児童への猥褻行為事件に関して、小生は強く不快感を(それこそ犯人を最低でも4~5発はブン殴りたいと思う位に)覚えます。そして更に、それらの事件報告に於いて、その「成熟前の性器を変質者が弄る」という行為の意味する所が被害者自身に理解できず、命じられるままに変質者に触らせてしまう(そうされる事に明確な不快感を表明できない)事例も見られる事に、強い憂慮の念を禁じえません。
少なくとも幼児や児童に「知らない人に見せてはいけない・弄るべきではない体の部位」という知識さえあれば、例え変質者に命令されても見せる事を拒否する意識も持てますし、また「訳の判らない社会的拒絶(猥褻で反社会的な物)」という社会通念(?)が被害者に罪(と本人が思い込む)の意識を抱かせてしまうという「性犯罪に関する被害者の立場の難しさ」の形成を防止できると思われます。
中立的で健全な呼称は「自身の体に罪は無い」という意識を育む事で、性犯罪被害者の心理的な負い目を軽減すると共に、被害者が(本来謂れの無い)罪悪感から黙ってしまう事で、事件が続いてしまうケースを予防でき、他方では事件究明時の二次ハラスメントも抑制できる…とも期待しています。夜飛 2005年6月10日 (金) 11:57 (UTC)[返信]
P.S. 毎回、冗長な長文にお付き合い戴いてかたじけない。


>小生自身がテレビ報道(1990年代に放送)等で取り上げられていた物を見た…というレベルでしかなく、明確なソースを提示できないため斯様な(参考程度にしかしないで欲しい的な)記述としました。(夜飛 2005年5月27日 (金) 08:51 (UTC) より引用)
>件の放送内容ですが、だいぶ前…という事で、教育委員会が提唱したという事までは憶えているのですが、それが何処の都道府県(神奈川だったか埼玉だったか)に属していたのかがはっきりしません。ただネット上で流布されている風説では埼玉県説が見られたため、これに拠りました(夜飛 2005年5月28日 (土) 05:14 (UTC) より引用)。
「めちんちん」という珍しい呼び方をわざわざ独立した記事になさった理由は何だったのだろうと思い、ノートを読ませて頂きましたが、昔テレビで見たんですよという程度のうろ覚えの記憶を頼りにお書きになっているとは…。本文に{{正確性}}タグを貼らせて頂きました。「集英社「モア・リポート」(1983年1月25日発行」も論拠に挙げていらっしゃいますが、本文では、「めちんちん」は90年代に提唱されたと書かれているので、83年発行の書籍で言及されているとは思えません。もしかして「モア・リポートの20年」の方には、「めちんちん」という呼称が書かれているのでしょうか?--O4 2009年10月11日 (日) 00:58 (UTC)[返信]

210.253.221.117氏の編集は偏っている

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210.253.221.117氏が本記事にだいぶ手を加えられた。しかしこの編集は以下の点で記事の歪曲・改悪であると思われる。

  • 本来は無関係なジェンダー論争に関する内部・外部リンクを付け加える
  • 無用な赤リンクを付けまくっている
  • 語の提案経緯は説明の上で妥当性があるにもかかわらず削るなどしている

よって撒き戻しを行った。本来は議論を要する事かもしれないが、同氏が議論も無く本記事の方向性を曲げている以上、やむ無しと思われる。210.253.221.117氏はまず、自身の方向性に対する妥当性を述べ、議論を求めるべきであろう。少なくとも本項は、ジェンダーに関する議論の主観視点におけるアジテーションを行う場では無い

218.219.10.131氏の編集は偏っている

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218.219.10.131氏が本記事を巻き戻した。 しかしこの編集は以下の点で記事の歪曲・改悪であると指摘された上でのこと、との言ではあるが、以降項目ごとに不可解な点を挙げておく。

  • >本来は無関係なジェンダー論争に関する内部・外部リンクを付け加える

ジェンダー論争および教育の現場から生まれた産物であるにもかかわらず、その経緯に必要な内部・外部リンクを問題視した上で”無関係”と言い放つのはおかしくはないですか?

  • >無用な赤リンクを付けまくっている

無用という判断はいずこから出されたものでしょうか? 「おてんてん」「おちょんちょん」「ヴァギナ」これら全てが、記事項目の言葉が「造語」される過程を知る上で重要なものであり、深く語るならばいずれ追加されるべき必要のある項目なのではないでしょうか?「未記載の項目である」と判断されるなら、その赤リンクを削る、という修正をのみ、お願いします。

  • >語の提案経緯は説明の上で妥当性があるにもかかわらず削るなどしている

経緯は「概要」の段で説明済みです。以降は冗長な繰り返しに過ぎません。「健全な呼称」以降の段落において語られていることは、この言葉の賛同者側に立った視点で語られる弁明(偏った視点からの弁明)に過ぎず、少なくとも第三者的な中立視点からは程遠いものである。「概要」以上の解説が必要であるならば、中立的視点に則った、新しい解説文(弁明文ではないもの)をぜひ執筆して頂きたい。

よって冗長さを際立たせるだけの撒き戻しは不当であろう。本来は議論を要する事かもしれないが、同氏が議論も無く本記事の方向性を曲げている以上、やむ無しと思われる。218.219.10.131氏はまず、自身の方向性の中に客観性を持つ努力をし、自らに猛省を求めるべきであろう。少なくとも本項は、ジェンダーに関する議論の主観視点におけるアジテーションを行う場では無い。という言葉をそっくり返したいと考える次第である。


比較してみましょう。改訂版巻き戻し版。なるほど改定者の客観的視点という方向性からは成功しているように見受けられます。簡潔であることにも成功しています。改訂者の言う冗長な偏った視点からの弁明(全く!)は、どうしても説明し普及させたい立場の人以外には全く不要であると考えます。改訂版には語句の説明や成立過程や使用目的といった、必要にして簡潔な部分は全て盛り込まれた上に以前より読みやすくなっており、元の文章を使った上でよくまとめ上げたものだと感心します。それでもあえてさらなる説明が必要であるなら改訂者の言うとおり、中立的視点の解説文が適当と感じました。ですが序文で全て解説されているのに、この上なにを弁明? むしろくどく繰り返す一方的立場からの説明の存在こそが、この記事が永遠に荒れ続ける原因になるのだと思います。また、力強くジェンダーフリー論争や教育問題(日教組)などの記載を無関係と言い切るのは、明らかに巻き戻し者の思想か立場に中立性を欠きます。なぜ隠したがるのでしょうか?

ただし、改訂版のほうにも問題があると感じました。それはやはり「赤リンクの多さ」と「外部リンクの偏り」でしょう。未成立の項目に対する赤リンクは(必要であるかどうはさて置き)減らしたほうが、見た目に美しいと感じます。また外部リンクを使うなら「反対」のHPだけではなく「賛成」のHPも客観性という意味で使うべきです。 よって「未成立赤リンクの減量」「外部リンクの削除もしくは追加」これのみを行った上でよくできた改訂版を採用し、言葉(記事)自体の是非は読者に委ねる、というのが客観性という立場からは順当と考えます。 ところで、巻き戻し者は一体なにに怒っているのでしょうか?客観性を持ち得ないのならば、wikipediaの編集少なくともこの項目への介入には不適当と感じます。

私は巻き戻しを行った218.219.10.131だが、児童向けの性教育がなぜにジェンダーフリー論への攻撃的な文言を羅列した個人ページのリンク張り回しという行動に絡むというのか。男女の区別を認識させようという目的と180度逆である。むしろ外部リンクの羅列と含めて、同語をジェンダー論争の渦中に置き従えようという作為すら見られる。故に「偏っている」と述べた。赤リンク無用は、同一方向性の語に一々一つの項目を設ける必要が認められないためである。リダイレクトすれば事足りる項目の乱立は無用である。なお語の経緯の説明は、概要部分にあるというが、果たしてどれ程の人がその必然性を把握できるというのだろうか。長い説明の減量化はいいのだが、言葉が足らないがための視点が定まらない説明は、ただ長々しい文章よりも有効性に疑問が残る。なお「巻き戻し者は一体なにに怒っているのでしょうか」との事だが、別に怒ってなどいない。平均的なWikipedia記事の水準を著しく後退させかねない、主観的「客観」を振り回しての、恣意的に記事の質を低下させる行為を突っぱね、差し戻したいだけだ。残念ながら210.253.221.117氏の編集は、単に元記事に一部ジェンダー論争で女性擁護の発言が含まれたからと言って、記事全体をジェンダーフリー論争やウーマンリブ論争と短絡したに過ぎないだろう。そのような短絡思考は、怒りを誘う以前に、失望と拒絶を誘うが故の、この物言いと巻き戻しである。218.219.10.131 2006年5月17日 (水) 11:41 (UTC)[返信]


長文お疲れ様です。つまり「私は、それが客観的中立視点であろうが、”(私の思う)目的”と違う方向に記事を持っていかれたくありません。私は”目的”に沿った文章が何度でも書き込まれている必要がある、と考えます。具体的には”健全な呼称”以下の文章です。私には簡潔な文章で理解する読解力がありません。私にすらできないのだから、他人は総じて簡潔な文章で理解できるわけがない、と判断します。私はジェンダー論争に関わる(貴殿が御指摘済)この語を、しかしジェンダー論争に絡めたくない、という隠匿意図を持っております。ですので、私の権限で巻き戻しを行いました」ということですね。  ---他人の意図を曲解し、敵視し、自分が思う目的を遂行させるために、自分の持っている権限を活用する。なんという暴力的な編集でしょうか!とても失望と拒絶を誘います。 ---あなた自身の客観性のなさと、客観性を保持できていないあなたが行った行為の暴力性について、そのようなあなたが巻き戻しなどの権利を所持している危険性を、ご自身はどうお考えでしょうか?  そんなあなたに、私からもこう言いましょう。 wikipediaは、ジェンダーに関する議論の主観視点におけるアジテーションを行う場では無い
私は218.219.10.131である。はて58.93.37.88氏は何を述べられているのか。語の説明にジェンダー論争に絡む記述が含まれていると述べたのを、「ジェンダー論争に関わるこの語」などと言い換えるとは、短絡・勘違いも甚だしい。「めちんちん」という語は身体部分の呼称であって、問題のコメントアウトが一度成された記述には、明確かつ扱い易い語が無い場合には、ジェンダー論の範疇にも関係して不都合がある可能性を列記してあるとはいえ、ジェンダーフリー論争やウーマンリブ運動のための語では無いこと位は理解して欲しい。差し戻しを行ったのも、210.253.221.117氏がそれ以前の記事の方向性を歪曲したからだと述べたが、同氏がジェンダーフリー論の否定という作為を持って記事編集を行ったとみなしたからだ。58.93.37.88氏は私には客観性がなく暴力的(更にはその私が記事を編集できる事が危険でもあるともしたいようだが)だと述べているが、それに関しては私は私個人の、私人としての立場でWikipediaに手を入れる以上、あまんじて受けよう。しかしそれを加味してなお、58.93.37.88氏の発言は酷く事実関係を誤認識あるいは歪曲している。繰り返して述べるが、性別の違いを明確化させることと、混同する事は、同じでは無い。218.219.10.131 2006年5月21日 (日) 16:51 (UTC)[返信]

ペニス・ヴァギナは過激な言葉か?

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過激な言葉とは思えないのですが--221.16.122.219 2007年8月14日 (火) 02:53 (UTC)[返信]

さあ?そう感じる人もいるって話じゃないんですかね。少なくともその二つは成熟後の性器を含む呼称で、イメージとしては毛がボウボウとしたのを連想するのも無理も無いだけに、過激といっちゃえば過激かもしれません…というか多感な中学生辺りには、ナニ言ってもコーフンしそうだけど(漏電中)。--夜飛/ 2007年8月14日 (火) 04:38 (UTC)[返信]