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ノート:アナテマ

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神の側か人の側か

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「意味内容を著しく変化させ」とあるのは、変化させたのは神の側なのか、人の側なのか神学的に重要なので、どちらの側で誰がどのように変化させたのか、あるいはしたのか教えてください。キリスト教は神の啓示を信じる宗教です。神学上、その変化がどちらの側のものなのか重要です。--イザヤ 2011年1月13日 (木) 10:13 (UTC)[返信]

それを聞いてどうしようというのでしょうか? (あなたにとっては)神学的にも大事な問題かも知れませんが、Wikipediaは(一般向けの)百科事典なので、ここでそれを詳しく云々することは偏った記述になってしまう恐れがあります。出典を伴った両論併記ないしは「(○○の立場の)クリスチャンはこのように捉えている」という表記ならアリかも知れませんが。なお、肝腎の表現は『聖書思想事典』(訳注)の文言を多少変えて私が記述したもので、従来は「変化し」です。問題があるのならばそのように直したらよいと思います。ちなみに、ウェーバーは『古代ユダヤ教』の聖戦を扱った箇所で、記事とは逆の変化、つまり、当初は単なる儀礼的な奉献であったものが、預言者の思想などの影響を受けながら、ユダヤ教の特徴的な発展として、捕囚後に(排他的・国粋的な思想の表現として)「徹底的殲滅」を意味する用法が(聖書のみに)定着したと解釈しているようです。もっともウェーバーは、平和な捕囚後の時代においてはアナテマの語の一般的用法は共同体からの「破門」を意味する語に変化しているともしているのですが。--Bokemiann 2011年1月14日 (金) 05:54 (UTC)[返信]

記事の統合に関する議論

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いくつか資料を確認してあらためて書きますが、その神学的問題はおいておいたとしても、あなたさまが持ってこられた資料によっても、ヘブライ語の聖書とギリシャ語の聖書でこの語が違う使い方をされていることがわかりますし、聖書の記述自身にヘブライ的表現とギリシャ的表現があって、この表現方法が区別されています。また、これはカトリック教会における教会用語でもあります。ローマ・カトリックはラテン語を重視しましたが、ギリシャ語も使っています。ヘブライ語とギリシャ語の統合を安易に主張されるわけがわかりません。--イザヤ 2011年1月24日 (月) 08:49 (UTC)[返信]

同じことを何度書いたら理解できるのですか? ここはキリスト教の専門事典ではありません。そして、そのキリスト教の専門事典ですら、ヘーレムとアナテマと聖絶の項目が立てられることはありません。いのちのことば社の事典であれば「聖絶」の項目、カトリックの事典であれば「アナテマ」の項目で、あなたが分割したがっているギリシャ語とヘブライ語に関わる内容の統合が為されているわけですが、あれは安易なのでしょうか? 私の改名&統合提案は、その安易なキリスト教の専門事典の編集に従っていることになります。あなたも今後はもっと安易でない事典類などを出典に使って下さい。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 09:42 (UTC)[返信]
教派別のキリスト教用語一覧をご覧ください。あなた様が例に出された新聖書辞典の用語とローマ・カトリックの事典では、同じヘブライ語、ギリシャ語について異なる訳語が与えられています。もとの語が同じでも違う意味が与えられているものも多いです。また、正教の文書を見ていただければわかりますが、正教が異なる訳語を与えているものが多くあります。事典、辞典は大枠の教派ごとに別々に出されていて、用語も違いますし、内容も違います。出版そのものが教派別に分割されているわけであります。プロテスタントの辞典、事典にはローマ・カトリックの用語が載っていなかったり、載っていても批判的な記述しかなかったりします。たとえば『リフォームド神学事典』にその例があります。エンデルレ書店の『現代カトリック事典』を見ていたらプロテスタントへの批判という逆の例もありました。しかしながら、これは百科事典なので、別々の事典、辞典に収録されている語を網羅することが可能です。--イザヤ 2011年1月24日 (月) 10:00 (UTC)[返信]
相変わらずはぐらかしですね。あなたが属する聖書信仰の立場で編集されたいのちのことば社の事典でも「聖絶」の項目でまとめて記事が立てられていて、記事そのものは分割されていません。あなたの云う教派ごとの内容の違いに関しても、Wikipediaの記事内で両論併記の形で記述すればよいことではありませんか? それに記事改名&統合提案はあくまで事典としての利便性・整合性を考えてのものです。それと、聖絶等の項目で今まであなたが為さってきた逸脱とも取れる編集を回避する意味合いもあります。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 10:28 (UTC)[返信]
(追記)言い忘れていましたが、この項目に限らず安易に分割すると、Wikipediaの性格上、分割した記事で内容が被った編集が別の編集者によって行なわれることになり、記事の質が却って落ちてしまう恐れがあるのです。ここは一般の百科事典なのですから、多少の厳密性は犠牲にしないとならないこともあります。ご配慮下さい。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 10:28 (UTC)[返信]

これをはぐらかしととらえられるなら、教派の違い、宗派の違いについて理解しておられるのか疑問に思います。私はことば社の事典とローマ・カトリックの事典は用語が違うと言っているのです。そのリンク先にせめて目を通していただけませんでしょうか。分離することで、あなた様がなさっているような誤解を防げます。ノート:神の恵みにある指摘もご覧ください。--イザヤ 2011年1月24日 (月) 10:39 (UTC) 正教用語で訳された神の像と肖があります。これは、もとのヘブライ語は聖書なので同じですが、題も内容も正教のものです。プロテスタントでは「神のかたち」の訳語が使われているので、いずれ西方用語かプロテスタント用語として別項目を作成しようと考えていますが、別項目を立てても「神の像と肖」の執筆者さんは統合を主張したりはしないはずです。キリスト教の中でも、東方と西方で、前提も内容も違うのを、よくわかっているからです。逆に私が正教の人たちの使う用語で項目を立て、西方からの批判的見解で埋めたりしたら、抗議が来るでしょう。ここに西方の理解を統合することもできません。もし、ここに西方の理解を書き連ねるような人があらわれたら分割するか、西方の項目に移せば済む話ですし、それが妥当な解決方です。--イザヤ 2011年1月24日 (月) 10:57 (UTC)[返信]

簡単にすませます。記事ごとに性質が違うのですから、同列には論じられません。実際に記事を見ていないので分かりませんが、その記事に関してはおっしゃる通り西方キリスト教用語として別項目を立てても問題はないかも知れません。余りよい例ではありませんが、たとえば岩波キリスト教辞典のような事典で別項目とされるような項目なら問題はありません。何もかも別項目主義というのは如何なものかと疑問を呈しているのです。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 11:19 (UTC)[返信]

(書込み競合したので、新たなコメントは見ないで、そのまま送信します)ここで論じることではありませんが、聖絶のノートで、出典要請タグをベタベタ貼付した行為に対して何度もご質問をしているのにそれに対するお答えがありません。ここでもそれに近い反応だと感じたので、そのように申したまでです。聖絶のノートで構わないので、きちんと昨日のあの行為についてのご説明をお願いします。ここで「はぐらかし」という表現を使ったのはちょっと拙かったかも知れません。そのことは謝罪いたします。ただ、超教派の事典があって、そこでもあなたの主張するような別項目主義が貫かれているのならば撤回も考えますが、そうでないのならば不必要な編集だと考えます。なお、改名&統合提案以前の問題として、私はあなたの編集態度を問題にしているのです。そこは強調しておきます。 それに、もちろん教派の違いや宗教の違いは充分承知した上で提案しているつもりです。あなたは逆に教派の違いに対して神経質になりすぎているように感じます。「聖絶(ヘーレム)」はそれほど大きな項目でないので、両論併記で対処してゆけば何の問題もありません。却って分割することで混乱を生じかねません。もう一度申しますが、原理主義のノートでも分割に反対表明しましたが、安易な記事分割は先に書いたように記事を却って混乱させるもとになるのです。繰り返しますが、教派や宗教で違いがあるならば両論併記すればすむことです。幸い本項はそんなに大きなページにはなりませんから、分割の必要もないでしょう。徒に立項する必要性は感じません。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 11:12 (UTC)[返信]

前提条件が異なれば内容も異なります。仏教用語としてなら、仏教で使われる用語として仏教の理解が優先して書かれることが当然であり、神道なら神道用語です。進化論なら近代科学の用語として書かれるのが当然です。キリスト教用語、それも保守的なプロテスタントである新改訳聖書の用語としての聖絶と、ユダヤ教や、他のキリスト教ではない学者の立場、また批判的学者の用語としてのヘーレムは前提も内容も異なります。私は新改訳のキリスト教用語が使われているために、その理解を優先して書くべきだと確信していました。あなた様は、「キリスト教では重要な語ではない」と考えておられて、ユダヤ教や他の立場の学者さんの記述が優先的に書かれるべきだとおっしゃいます。そうであれば、新改訳のキリスト教用語としての聖絶と、ユダヤ教や学問的用語としてのヘーレムを分割することに何の不思議がありますか。進化論創造科学に統合して進化論排撃論を書き連ねたらどうしますか。私がタグをはった理由ですが、それが最初から学問的な項目名でユダヤ教や他の学問的、批判的な見解だけが記入されているのであれば、そこまで細かく出典は要求しませんでした。その前提ではそれが正しく、正確だからです。進化論の項目であれば進化論が事実で進化論が正しいのです。進化論の項目に進化論者の見解があるのは当然ですが、仮に原罪の教理のところに進化論者の説が書かれていれば出典を要求するか除去します。福音派や聖霊派の反進化論本は進化論に進化論者とは別の定義を与えています。進化論者が与える進化論の意味と、創造論者が与える進化論の意味は異なります。そして福音派と聖霊派のクリスチャンの間だけであれば、進化論者とは別の定義の方が主流です。この進化論を否定する立場は宣教にはげみ、世界中で教勢を伸ばしています。しかし、進化論は進化論を唱える側の用語であるので、そこに創造論者の見解を書き連ねたりはしませんし、統合の提案をしたりしません。--イザヤ 2011年1月24日 (月) 11:36 (UTC)[返信]
これを最後にしたのですが、私が聖絶をヘーレムと統合したらどうかと考えていたために、そのような誤解をされるのでしょう。でも、聖絶の項目は福音派でも余り重視していない項目だと思いますが、違うのですか? だから、いっしょにまとめて両論併記した方が親切かつ適切だと考えているわけです。また、聖絶の項目はあなたのおっしゃる通り福音派の主張を優先的に書いてよいでしょう。何の問題もありません。しかし、私が参照したカトリックの事典では福音派と殆ど同じ内容が書かれています。それではアナテマと聖絶をわざわざ分ける必要があるでしょうか? ということです。本項は私が立項してしまったので言いにくいのですが(^^;)
それと、もうひとつお願いですが、上で書いたお返事を聖絶のノートで構わないのでお願いします。また、ここで質問している他の件について、たとえば超教派の事典の事典でこれらの項目が別項目で立てられているのかどうかの質問などについても、ご返事をお願いします。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 11:50 (UTC)[返信]
(追記)繰り返しますが、この項目に限らず、あなたのように別項目主義を貫いて上で私が言ったような混乱が派生した場合、どうしますか? そうなった場合、他の編集者の人に徒に厄介な手続きを踏ませることになります。記事がふくれあがって不便になった段階で記事分割を行なうのならばよいのですが、それほど大きなページでもないのに、拙速で分割すべきではありません。私は、特にここで問題になっている項目に関しては、キリスト教の整合性よりもWikipediaとしての整合性をクローズアップして論じています。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 11:59 (UTC)[返信]

レオン・デュフ-ルと新聖書辞典の相違

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私のこの項目における編集について「POVな編集」とのご指摘がありましたので、こちらに説明します。一般に知られて居ればその学者に権威があるという考えがあるのかも知れませんが、教会における指揮系統は一般とは異なります。著名な学者が教会側から譴責されることがあり、その場合、学者の著名性よりも教会の鍵の権能の方がキリスト教会の指揮系統、権威において、上位にあります。レオン・デュフ-ルは復活理解について、所属するローマ・カトリック教会から異端の嫌疑をかけられた神学者です。復活はキリスト教の根幹に関わる問題であり、デュフールはカトリック教会において、またキリスト教において本流とは言えず、デュフールのみを出典とした記述は問題です。また、いのちのことば社の『新聖書辞典』には、「変化した」との記述はありません。よって、新聖書辞典を「変化した」とする記述の出典とするのは不適切です。新改訳聖書に沿った聖書辞典が新聖書辞典です。新改訳において聖絶の語が最も出て来るのはヨシュア記ですが、このヨシュア記の翻訳者は保守的なプロテスタントの聖書学者であり、レオン・デュフールと異なる説明をしています。--イザヤ 2011年3月8日 (火) 14:32 (UTC)[返信]

教父

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社会学マックス・ウェーバーが、教会の指揮系統、鍵の権能においてどのような位置づけなのかお考えください。エンデルレ書店の『現代カトリック事典』は、この語を教父公会議から説明しています。--イザヤ 2011年3月8日 (火) 17:06 (UTC)[返信]

質問の意図がよく分からないのだけど、ウェーバーは母親が禁欲主義的なピューリタンだったそうで、自身もプロテスタント信者ではあったと思いますが、教会関係者ではありませんから、上記の事柄ではどのような位置にも付いていなかったと思います。ウェーバーは専門領域は多岐に渡りますが、宗教社会学者としても有名です。--Bokemiann 2011年3月9日 (水) 13:57 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

アナテマ」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月29日 (日) 15:17 (UTC)[返信]