ノート:ウーリー・ステック
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改名提案
[編集]本人の公式サイト[1]では日本語表記がウーリー・ステックとなっているので、改名したいと思います。--Maulits(会話) 2012年6月9日 (土) 17:37 (UTC)
- 改名実行しました。--Maulits(会話) 2012年6月16日 (土) 13:27 (UTC)
エベレスト登頂に関する記載
[編集]2012年6月17日に36.2.198.180のIPから加筆された記載(差分)のうち、エベレスト登頂に関する部分についてですが、当該箇所の脚注リンク先の情報とずいぶん矛盾していまっています。 リンク先には、
- 問題の大渋滞が起こったのは5月19日だが、登頂したのは5月18日
- 翌日に大渋滞が起きることを予測して、18日にアタックを決行
- ルート工作を行う他の登山隊のシェルパと一群となって登高していったが、シェルパに敬意を示すためにあえて抜かなかったとの本人の余裕の弁。
- ヒラリーステップ付近で40分待機させられて、無酸素の彼には低体温の症状が出始めたが大きな問題とはならなかった。
- 同行のシェルパ族の登山者は、彼から3時間遅れではあったが無酸素登頂に成功して、下山している。
- ウーリーは余裕でC4に戻ってゆっくり休息をとっており「生還を果たした」という表現が示唆する切迫した状況ではなかった。
というような状況が書かれています。 ただ、本人サイトによる一次情報を目にしただけですので、どう記述に反映させたらよいのか、私には判断できません。ご報告まで。--豊葦原瑞穂(会話) 2012年8月29日 (水) 17:32 (UTC)
- 脚注リンク先がリンク切れとなっているため、別サイトの情報を確認しました[2][3]。上記で確認いただいているよう、現行の記載とはやや異なるように思います。
- 多くの登山者が登頂を狙っていたが、頂上までのフィックスロープがまだ設置されておらず、18日にシェルパがフィックスロープを設置する予定であっため、そのタイミングで登頂を始めた
- キャンプ3が雪崩に埋まっていたが、泊まる予定はなかった
- 登頂しキャンプ4に戻った夜に150人の登山者が登頂に向かった
- したがって登頂ラッシュには、影響は受けなかった
- ヒラリーステップで少なくとも40分は待機した。気温が低すぎるということはなかったが、寒く、動き始めたときはうれしかった
- テンジン(同行のシェルパ族)は下山中のステックとすれ違いで頂上に向かい、ステックがサウスコルに着いた3時間後に戻ってきている
- 「エピソード」の記載は消去し、「主な登頂記録」に「2012年 エベレスト無酸素登頂」を追加するのはいかがでしょうか?--Fryrzr0000(会話) 2016年11月16日 (水) 08:19 (UTC)