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ノート:エッセン

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掲示する写真の選定について

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以前示されていた大聖堂の写真が削除され、かわりに駅の南にあるザールバウ(改修後)の写真が示されていました。たしかに、ザールバウは住民運動の観点からは結構面白いエピソードのある建物ですが、エッセン市を知るには大聖堂の方が重要だと思います。また、写真があまり多くなるのも問題だろうと思い、市南部のケトヴィヒ地区鳥瞰図を削除し、かわりに大聖堂の写真を示しました。たしかにエッセンは「ルール地方の工業都市」として大きく発展しましたが、本文に書いているように、もともとは教会を中心とした中世都市だったからです。ドイツ語のページをみても、現存建物の写真として最も早い位置に大聖堂が示されています。

一方、ケトヴィヒ地区の鳥瞰写真ですが、ここは1975年にエッセンに合併されたところで、それまでは独立した町でした。その写真がここに示されていたのは、おそらく英語ページの影響だと思いますが、エッセンを訪問する人がケトヴィヒまで足を伸ばすことはあまりありません。もっとも、私は数年前に訪問し、ルール川沿いに素敵なハーフティンバーの建物を見つけました。ケトヴィヒは魅力的な地区なので、「エッセン市内の各地区」という項を立て、そこにこの写真が示される日が来るのを期待しています。

直前の編集内容を戻したわけなので、「編集合戦」にならないよう、このノートを作成しました。123.219.162.221さんにも理解していただくことを期待しています。そして、できればザールバウに関し、住民投票を求める運動が行われ、その結果として改修に至ったことを紹介してください。--Come-j 2010年4月3日 (土) 04:36 (UTC)[返信]