ノート:エーカートッサロット
次代の王について
[編集]次代の王として記事が掲げられているシーサオワパークが、スタット親王と同一人物であるかは、同人物が実際に即位したものかも含め、 検証の必要があると考えています。
出典の明確なご協力をお待ちしています。--Ban-B 2009年12月2日 (水) 06:25 (UTC)
- 当該部分の執筆をされたのはBan-Bさんということでよろしいでしょうか。--あなん 2009年12月2日 (水) 10:30 (UTC)
当該部分とはインタラチャ親王の部分でしょうか?過去ログ・差分を確認していただければと存じます。
「出典」に関しては、「出典」より「参考資料」のほうが適切かなと考え直しているところです。--Ban-B 2009年12月4日 (金) 07:12 (UTC)
- つまり、「王位継承」の部分ですが... 過去ログを読んだ限りではあなたの執筆と云う事になっています。とりあえず、出典を求められるのは読み手ではなくあなたです。なので、ここにコメントはこないと思います。当該部分の記述に関しては「出典」に挙げられた書籍に書かれているのでしょうか。もしそれならば、もう議論は終了していると思います。--あなん 2009年12月4日 (金) 07:28 (UTC)
私のほうも言葉足らずですいません。今記事に書いてある内容の出典をもとめる意ではなく、これから深めていく内容(下記)について出典・参考資料をなるべく明白にしましょう、という意です。
- 私の手持ちの資料では、エーカートッサロットの次代はシーサオワパークではなくソンタムになっていました。
そしてシーサオワパークとほぼ同じ道を辿った人物としてスタッド親王が挙げられております。しかし王になったとはされていません。
今のところシーサオワパークの記事にも彼の別名はありません。
- 加えて、アユタヤ王朝の記録というのは、オランダ、ポルトガル、中国、日本などにまたがるので、例えばオランダ人が当時母国語でまとめたものを日本人が訳したものと、中国人が漢字でシャムの発音を表記しそれを日本人が読み下したものとでは、人名・役職名などが本来同じ言葉だったのにいちじるしく発音が違ってくる場合があります。
それで、スタッド=シーサオワパークなのか、即位しているのか、資料を明確に、混乱を避けて議論したい、と提案した次第です。--Ban-B 2009年12月7日 (月) 00:38 (UTC)
:そのスタット=シーサオワパーク説はどこから出てきたのですか。そもそもその時代は、若干の外交文書や風説書、歴代宝案(日本?)を除けば日本の記録なんて山田長政関連の怪しい伝聞史料しかないと思われます。フランスやイギリスの史料は云々しないのですか。
- そもそも、タイ史を云々するなら David K. Wyatt の Thailand: A Short History ぐらいには目を通して下さい。そこに答えは載ってますから。
- 同じ事を繰り返しますが、自分が「怪しいなぁ。分からないなぁ。」と疑問に思った物は書かないで下さい。議論を目的にするのも考え物です。読み手に出典や検証、議論を求めてはいけません。自分において基本を抑え、検証が終わってから記述して下さい(その上で議論があるのは仕方がありません)。
- めんどくさいので答えを書いちゃいますと、シーサオワパーク=スタット説はあり得ません。タイ史をかじったことのある人なら、両方サンスクリットの雅号(みたいなもの)であることがすぐ分かり、どちらかがどちらかの別称であるというような事はまず考えられないからです。両方とも親王なので王に与えられるような儀式的な長い名前が無いため、両方がある名前の一部であるとも考えられません。両名前の音節の数や子音の対応を鑑みても、二人の名前があなたの云う翻訳の過程で表記が違ってきたという以上の物がある上、そもそも名前の意味自体が違うので、とうてい同一人物とは考えられません。なお、年代記では二人はエーカートッサロットの妾の子で兄弟だとされています。で、さらに西洋の史料ではシーサオワパークについて触れた物はないため、前述の Wyatt の本ではシーサオワパークが即位した可能性を拒否しています。あなたの「手持ちの史料」を読んでいないので分からないのですが、その資料が欧米の史料しか読んでない場合、シーサオワパークをとばしている可能性は十分にあります。--あなん 2009年12月7日 (月) 03:05 (UTC)
- とりあえず、返答がございませんので閉めます。なお、文献の方を適切な方法で明記して頂きたいと存じます。--あなん 2009年12月19日 (土) 23:51 (UTC)
まず、返答が遅れてしまい申し訳ありません。それからご指摘のような私の勉強不足・検証不足もすみませんでした。
- おもに参考にしたのは、「17世紀におけるタイ国革命史話」(エレミヤス・ファンフリート)です。ご存知なのかもしれませんが17世紀中頃の在アユタヤオランダ商館長の記録です。あなんさんのおっしゃるとおり、シーサオワパークについて書かれていないので、混乱してしまいました。いたずらに議論を誘ったわけではありませんが気を煩わせてすみませんでした。
- 私の話が下手だったのでしょうが、私がノートを使った根本的な動機は、私のようにこれから知識を得ようと思って百科事典を開いた人間にとって(それは普通だと思いますが)、この辺の歴代王の諸記事が、過不足ないものとはいえないと、感じたということです。例えば、スッタトについて、エーカートッサロットの記事にも、シーサオワパークの記事にも、ソンタムの記事にも書かれていなかったこと。即位期間が短い王の記事で、即位していないとする資料があることが本文で紹介されていないことなどがそうです。次代と前代で内容が矛盾する部分も見られました。詳しい方ならわかっていることかもしれませんが、利用者の戸惑うようなところがあると感じたのです。スタットの上記の疑問の提示は、不適切であったと理解できました。
- 勉強させていただきます。--Ban-B 2010年2月15日 (月) 06:46 (UTC)