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ノート:オットー・ヴァイト

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ハートネットTVで見かけて、『パパ・ヴァイト―ナチスに立ち向かった盲目の人』という本が最近出たと知り追記しました。絵本ですが、生き証人のインゲ・ドイッチュクロンが書いており、p.2 に訳者が「この絵本には、ドイツで本当にあった事が描かれています」とあるので、信頼のおける情報源だと判断しました。(インゲさんは『黄色い星を背負って―ナチ支配下を生きたユダヤ人女性の証言』ISBN 978-4000027267 という本もあるようです。)

表記ですが、

ドイッチュクロン
記事で使われていたもの
ドイッチュクローン
『黄色い星を背負って』での作者名表記
ドイチュクローン
『パパ・ヴァイト』での作者名表記

となっており、限りなくどうでもいい事ですが、『パパ・ヴァイト』を参考資料に載せた都合でドイチュクローンとしました。

この記事は『福音と世界』5/2002号 という、都内の図書館のどこにも無い雑誌が出典に載っており、これを入手するというのはちょっと厳しいですね。この「ベルリン便りNr.26」の記事らしき物の内容を載せたサイトもありますが、これで雑誌の内容が全て正確に載っているのか不明です。ここには「展示場にはヴァイトを含め、職場の集合写真が掲げてあるが、そこに写っている三十六人のうち戦後まで生き延びたのはわずか四人ということだ。」とあり、この記述までは疑わなくていいかもしれませんが、この36人とは、博物館の右上の写真の事でしょうが、ここにはヴァイトが写っています。4人にヴァイトは含まれるのか否か、はっきりしません。含まれていれば、助けられたのは3人になります。また従業員はこの写真で全てなのかどうかもはっきりしません。名前が挙げられている従業員は三人ですが、憶測は書けないので記述を変更しました。

「ベルリンのシンドラー」とも呼ばれる。という冒頭の言い方です。『シンドラーのリスト』という映画が1993年に制作されて、オスカー・シンドラーだけが知名度が高いのは事実ですが、ナチからユダヤ人を守ろうとした人は誰でもかれでも「○×のシンドラー」と呼ぶのを普及させるのはどうかな、と思いました。例えば、杉原千畝は、日本のシンドラーという言い方をされる事もあるようですが、あまり好ましく思わない人もいる旨が記事の脚注に書かれていますし、これではまるでオスカー・シンドラーだけが優れていて、他の人はみなオスカー・シンドラーより劣っていて、名前を覚える価値も無いおまけのような扱いに思います。現状では、英語版にもドイツ語版にもオットー・ヴァイトが「○×のシンドラー」とは書かれていませんので、検証困難な過去の雑誌ひとつが出典となっているのであれば、『パパ・ヴァイト―ナチスに立ち向かった盲目の人』に「○×のシンドラー」とは書かれていない、という方を優先させて頂きます。もちろん、これからオットー・ヴァイトに関する書籍や資料が増えて、「○×のシンドラー」という言い方がされるのであれば、そう書くことに異を唱えるものではありません。--210.163.56.189 2015年10月7日 (水) 09:38 (UTC)[返信]