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ノート:カルテジアン劇場

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「カルテジアン劇場」という記事名は「トゥギャザーする」みたいな英語と日本語を無理やり組み合わせたような、学術的な語としてはいささか不恰好な言葉のように見受けられますがどうでしょうか。例えば、「自然の斉一性」を「ネイチャーの斉一性」と書くようなものです。リダイレクト先になっている「デカルト劇場」の方が言葉として自然なのでは?--Tantalos 2010年7月20日 (火) 02:48 (UTC)[返信]

コメント日本人にはデカルト劇場の方が分かりやすいだろう、という意味で僕もそちらの名前の方が良いと思います。少なくともカルテジアンが「デカルトの」という意味を持っていることは、僕を初めとして 多分ほとんどの日本人は最初すぐには分からないと思います。とはいえ同時に、現在の記事名は、この概念を有名にしたダニエル・デネットの"Consciousness explained"の邦訳「解明される意識」(山口泰司訳 ISBN 4791755960)の中で使われている「カルテジアン劇場」の訳語に従ったものと思われます(初版を書かれたMmoroさんは、デネットの記事において、未邦訳の著作の内容を含め、大きく内容を充実されてきた方であり[1]、おそらくそうだと思います)。ですので、この概念について有名な文献で使われている訳語、という意味では、適切なものとも言えると思います。別の日本語文献でどうかと言うと、ぼんやりと今、僕の記憶にある中で「カルテジアン・シアター/カルシアン・シアター」「カルテジアン劇場/カルテシアン劇場」「デカルト劇場」の大きく三パターンがあったのではないかと思います。どこまで他の日本語の表記が見つかるか分かりませんが、自分の分かる範囲でちょっと文献を調べてみて、後でここに報告してみようと思います(調査期間目安、一週間ぐらいで・・^^;)。--Was a bee 2010年7月20日 (火) 09:39 (UTC)[返信]

情報 とりあえずとして、他の訳例の追加と、カルテジアンの意味の説明の追加だけ行ないました[2]。以下は、現段階での調査内容(とりあえず三冊だけ...)を書きます。--Was a bee 2010年7月25日 (日) 16:22 (UTC)[返信]

  • ダニエル・デネット著 山口泰司訳「解明される意識」(1998年、ISBN 4791755960
    • p.31 多元的草稿モデルは、私が「カルテジアン劇場(デカルト劇場)」と呼んでいる意識の伝統的モデルに代わりうるものである。
これがこの書籍内での初出で、以降500p以上に渡る本の各所で、「カルテジアン劇場」として訳されてます。
  • クリストフ・コッホ著 土谷尚嗣・金井良太訳「意識の探求(上)」(2006年、ISBN 4000050532
    • p.17 一九九一年の本では、デネットは、「デカルトの劇場」という概念がまやかしである、という論点に狙いをしぼっている。デカルトの劇場とは....
これはコッホが脚注内でデネットの考えを簡単に解説している部分です。約半ページが割かれています。
ここで言及されている1991年の本とは「解明される意識」の翻訳元である"Consciousness Explained" ISBN 0316180653 です。
  • デネットへのインタビュー 矢沢潔(訳)『最新 脳科学 心の意識のハードプロブレム』収録 <最新科学論シリーズ> 学研 (1997年 ISBN 4056015058
    • p.54-55 デカルトの劇場の誤り
これはデネットに行ったインタビューの記録が翻訳されたものです。学研から出ている広い範囲の読者層への、意識と関わる研究者の紹介を主眼に置いて作られてる本です。
この本では、デカルトの劇場、と訳されてデネットの考えが紹介されています。
一応私もデネットの同書の翻訳本に目を通してみましたが、「カルテジアン劇場」でした。わざわざ調べてくださり、ありがとうございます。--Tantalos 2010年7月31日 (土) 22:33 (UTC)[返信]